『冷たい牢獄』から『その唇にKISSする時』へ

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『冷たい牢獄』から『その唇にKISSする時』へ

『その唇にKISSする時』 https://estar.jp/novels/25815908  最初に『冷たい牢獄』を書いたの2020年の6月だから、もう1年近く前になる。この時は、ただ、冷徹なカリスマ社長と社長に絶対服従する秘書の話を書きたかっただけだった。  それは、ハッピーエンドにはなり得ない関係。  例えるなら、ギレン・ザビとセシリア・アイリーンのような関係。  そんなイメージだった。  けれども書いてみたら、千川京也が随分ややこしいことを言って、完結した。これは多分、現代物というジャンルの所為だ。  架空の世界ならば、ある意味やりたい放題できる。  現実の、今の日本社会とは相容れない常識や価値観があっても、それはその架空世界のものとして容認される。  これは歴史物や時代物を書く時も同じで、過去には、今となっては考えられない常識や価値観があった。しかし、それらを踏まえた上で書かなければ、そのジャンルを書く必然性に欠けてしまう。  現代社会を舞台にした作品ならば、登場人物達は、現代社会の規範や常識、価値観に基づいて行動しなければならない。  現代社会の規範に基づけば、千川京也の行動は、セクハラという違法行為でしかない。それも、かなり卑劣な部類だ。一応、津崎歌澄は事前に了承しているものの、彼女の弱みにつけ込んだことに違いはない。  津崎歌澄が受け入れているからと言って、許されることではない。  これはあくまで、私個人の希望なのだが、せめて小説の中くらいは、正しく「因果応報」であって欲しいと思う。  もし千川京也が、自分の欲望のためだけに津崎歌澄を愛人にしているのだとしたら、彼の会社であるケルスは、早晩、傾かなければならない。成功者であり続けるならば、相応の正しい振る舞いが必要なのだ。  だから千川京也は、津崎歌澄に、彼女の父を失脚させたのは自分で、自分を恨めという。同時に、自分のものだと宣言した。  千川京也の行動が辛うじて許されるとすれば、自分自身に罰を与えているケースだろう。では何故、津崎歌澄なのか、千川京也が自分に与える罰とは何なのか。  考えを突き詰めながら、続きの短編を2本書いた。  短編を書きながら、千川京也という人物を掘り下げたところ、不器用を拗らせ過ぎた挙げ句の行動、という結果になった。  もちろん、行動そのものは、現代社会では到底許されるものではないが、その動機は、物語として、どうにか容認できるものになった。  そしてそのために、完全無欠なカリスマ社長は、その弱さを晒すことになった。  容認できるということは、ハッピーエンドが可能ということだ。  ビターエンドで終わったはずの物語は、その向こうで、ハッピーエンドになった。
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