大いなる鳥

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「足を動かしてみろ」  目の前の不機嫌そうな男に言われ、スインはその場で足踏みした。 「体は丈夫だし、どこも悪くないよ。連れ出す前に確認済みだ」  馬商人が言った。村々を訪れて馬の売買をするかたわら、人手不足の農家や商家に孤児を斡旋しているのだ。  男が勘定を済ませている間、スインはその場に突っ立っていた。到着したばかりの村に目を向けると、男の妻と思われる女がこちらを伺っているのが見えた。その陰には、スインと同じ年頃の女の子が立っている。 「何してる」  女の子と目が合ったと思ったとたん、男に肩を痛いくらいの力でつかまれた。  翌朝、男はまだ暗いうちにスインを叩き起こし、馬に乗って近くの山に向かった。山道が険しくなると馬を降り、その先は徒歩で進んだ。  空が白み始めるころ、二人は山頂付近にたどり着いた。そこは開けた広場になっており、ふもとの村が見下ろせる。広場の端には焚火が燃え、十数人の男たちが集まっていた。 「その子か! 連れてきたのか」  一人が声を上げると、焚火を囲んでいた全員が振り返った。 「言って聞かせるより、早いだろう」  男はそう言うと、焚火を囲む輪の中に入って行った。スインは人にじろじろ見られるのが嫌で、その場に残った。  焚火の向こう側には、まじない師らしき老人と、スインよりも4、5歳ほど年上に見える若者が三人立っている。まじない師は、こちらに背を向けて祈りを捧げていた。スインはまじない師が拝む先を見て、息をのんだ。  そこには、大きな亀裂が横たわっていた。山は、巨大な力で二つに引き裂かれていたのだ。こちら側のへりから対岸までは、小さな小屋がすっぽり落ち込むほどの広さがある。その深さはどれほどかと思い、スインは身震いした。  まじない師の祈とうが終わる頃には、太陽が姿を現していた。男たちは焚火を消し、広場を囲むようにして並ぶ。スインもそれに混ざった。中央に残された若者たちの顔は青ざめ、こわばっていた。  老人が声を張り上げた。 「さあ、死の谷に挑戦するときが参りましたぞ! 大いなる鳥となりませい!」  老人が脇へ下がると、その場に残された若者の一人が、顔を上げた。そして、奇妙なことをした。亀裂を見つめたまま、後ずさりを始めたのだ。  スインは辺りを見回したが、周りの男たちは微動だにしない。若者は焚火跡の近くまで下がると、今度は頭を振り、胸のあたりを叩いた。食いしばった口の間から、獣のようなうなり声が漏れた。  そうして次の瞬間、亀裂に向かって駆け出した。 「あっ」  声を上げたのはスインだけだった。若者は、亀裂のふちに到達すると、虚空に身を躍らせた。対岸に取りつこうというように両手が差し出される。だが、その手は何にもたどり着かなかった。若者の姿は、亀裂に落ち込んでいった。  起きたことを理解した瞬間、スインの腰が抜けた。パニックに陥った思考が、目の前のできごとを否定しようと必死でもがく。だが震える体は動かず、死の淵から視線を逸らすことはできなかった。  その眼前で、二人目、三人目の若者が同じように死の谷を飛び越えようと挑戦し、命を落とした。  まじない師が祝詞をあげ、全てが終わった後も、スインは立ち上がれないでいた。帰り支度をしていた男たちの一人が、スインを見て言った。 「こんな小さな子に、させるのかねえ……」  スインの傍らにいた男は、苦々し気に言った。 「4年たてば大きくなるさ」  恐怖と衝撃でもうろうとなっていたにも関わらず、その言葉を聞いたときスインには全てが飲み込めた。  自分は、この『儀式』に参加させられるために引き取られたのだ。  そして4年後に死ぬのだ。
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