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――何でいきなり、そんなことを言うんだ?
まさか自分に、一目惚れした訳でもあるまいに。いや、ひょっとしたらそうなのか? 俺はもしかして、この女に惚れられたのか? だから彼女は、むちゃを言って俺の部屋に上がりこんだのか? だとすれば、この後……。
二十八年間、商売女以外とそういう行為をしたこともない男にとって、その想像はあまりにも刺激的すぎた。だが、走り出した妄想が一気にとんでもない行為に及びかけた時、再びあの鈴のような声が響き渡った。
「まさか、こんなことになるとは思っていなかったから」
大橋は妄想をストップすると、おにぎりを頬張る女にゆるゆると顔を向けた。
「こんなこと?」
女は深々とうなずくと、微かにその目を伏せる。爪楊枝が数本載りそうなその長いまつ毛が、白い肌に一層際だって見えた。
「正直、信じられなかったからな。何の前触れもなく、いきなりこんなことをするなんて……。以前は移動する際も、必ず祈祷くらいしてくれたものだったのに」
大橋は話の意味がよく分からず、黙って彼女の言葉に耳を傾けているしかなかった。
すると女は何をかふっきったように顔を上げ、大橋ににっこり笑いかけた。
「でも、私は人間を信じる。おまえのように信心深い者も、まだいるのだから」
「……は?」
「あの賽銭は、人間の世界でいうとかなりの額だろう。あんな賽銭、二百年ほど彼の地にいたが、初めて見たからな。しかもあれは、あの時おまえが所持していたほとんど全てだった。私は本当に感動した。おまえのおかげで、私は人間を信じることができる。ある意味、私はおまえに感謝すらしているのだ」
――賽銭?
その言葉を聞いた大橋の脳裏に、唐突におとといの光景がよみがえった。
夜の祠。酔った勢いでなけなしの一万円を賽銭箱に放り込み、あの時自分は確かにこう言った。
『もうちょっと、マシな人生が送れますように』
その言葉はまさに、先刻彼女が口にした言葉そのものではないか!
大橋は、指先がわなわなと震え出すのを感じた。
「……あ、あの」
「何だ?」
バラ色の頬に柔らかな笑みをたたえつつ、優しく自分を見つめる澄んだ瞳。その視線を正面から受け止めながら、ささくれだった喉に粘つく唾液を送り込み、大橋はかすれた声を絞り出した。
「あなたは、誰なんですか」
女は少しだけ驚いたようにその目を見開いたが、すぐに優雅にほほ笑むと、花びらのような唇から紡ぎ出される澄んだ美声で一言、こう言った。
「私は、神だ」
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