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あれは夏の暑い日だった。その日大橋は赤十字の救急救命講習を受け、人工呼吸や心臓マッサージの方法を教えてもらったばかりだった。蝉時雨の降りそそぐ中、講習を終えて帰宅した彼が見たのは、テレビがつけっぱなしの居間でうつぶせに倒れている母親の姿だった。
頭の先からつま先まで寒気が走り、胸が押しつぶされるような感覚に倒れそうになりながら、彼は習ってきたばかりの心臓マッサージをごろりと寝ころんで動かない母に必死で施した。その体は、まだほんの少しだけ温かかった覚えがある。だが、母は再び目を開けることはなかった。こうして彼は天涯孤独となった。二年前の話である。
母の死の翌年、彼は小学校教師としてとあるの町の小学校に赴任した。教師としての資質があるとは言い難い彼にとって、ここでの教師生活はまさに苦難の連続だった。
昨年度に受け持った三年は見事に学級崩壊を起こし、四年に持ち上がることができずに今年は二年の担任になった。実力のある中堅が担任していたこの学級は、学校内でも一,二位を争う担任しやすい学級として認識されていた。だが、今年度になって大橋が担任するやいなや、学校内で一,二位を争う問題クラスになってしまった。
朝自習中の私語、立ち歩きから始まり、授業中は児童がクラスを飛び出して徘徊し、休み時間はケンカやケガが絶えない。給食中もふらふら立ち歩く児童が多く、掃除もまじめにやらず遊んでばかり。下校途中は停車中の車にいたずらをしたり、民家の呼び鈴を押して逃げたりと、何か悪いことがあれば必ずと言っていいほど彼のクラスの児童が関与している状態だった。
例によってこの日も、大橋のクラスの児童が大事件を起こし、彼はその後始末に奔走したのだった。
給食準備中、大橋のクラスの児童が隣のクラスの給食当番にちょっかいを出した。それが元で当番の児童が転倒、持っていた食缶からこぼれたスープが近くにいた児童にかかり、やけどを負ったのだ。
幸いやけどは軽かったものの、ケガを負わされた児童の親が大橋の給食指導が至らないからだと激怒し、教育委員会に訴えると言い出したから大変だ。校長、副校長、教務主任、保健教諭、学年主任に至るまで平謝りに謝り、夕方までかかってようやく事態は沈静化したものの、保護者が帰ったあと、延々と校長と副校長から「言語道断」と怒鳴られ、「教員失格」と烙印を押され、「即時撤退」まで暗に勧められる始末。午後九時過ぎにようやく大橋が解放された時には、身も心も渇ききったヘチマのように空っぽすかすかで、ものも考えられないほどやつれきっていた。
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