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大橋は何とか気を晴らしたかった。飲めもしないくせにふらふらと飲み屋ののれんをくぐってしまったのも、そういう理由からだった。案の定、再びのれんをくぐって出てきた時には既に歩ける状態ではなかった。たかがジョッキ一杯だけだったが、彼にとっては限界をはるかに超えた量だったのだ。駅で二度ほど吐いて何とか前に進める状態になったが、それでも俗に言う「千鳥足」状態で、あっちへふらふら、こっちへふらふら、すれ違う通行人が眉をひそめてそんな彼に目をやるほどだった。
そう、道路はゆがんでいないのだ。いつもながらのまっすぐで平坦な道だ。ただ単に、大橋が酔っぱらっているからそう見えているだけなのだった。
「だいたい俺なんて、教師にむいてないし」
やけ気味にそうつぶやいて、大橋は深いため息をついた。
と同時に、怒濤のような嘔吐感がこみ上げてきて、大橋は慌てて電柱の影に隠れると滝のように吐いた。嘔吐物の飛沫が、一張羅のスーツのズボンに点々と飛び散る。大橋はげんなりした表情でその黄色い水玉模様を眺めやると、ズボンの裾をつまんで持ち上げた。
その時、大橋は頬をなでる風に何かの香りを感じた気がした。
甘さのない、爽やかな香り。間違っても嘔吐物の臭いではない。花の香りでもない。五月の風に混ざる、新緑の、爽やかなみどりの香り。
大橋はゆるゆると顔を上げた。その目に、四方に堂々と枝を張った見事な大木が映りこんだ。
「……ケヤキだ」
これだけ大きな木だというのに、保存樹木には指定されていないようで、なんの札もかけられていない。こんな住宅街の一角に、これほど立派な木があることに今の今まで気がつかなかった。大橋はズボンから手を離すと、放心したようにその見事なケヤキの木を見上げた。
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