13人が本棚に入れています
本棚に追加
撮影を終えた大橋が駅に着いたのは、午後七時をまわった頃だった。
午前中いっぱい最初のポイントで撮影したあと、午後はそこからさらに一時間ほど移動した場所で別の車両を撮影した。移動中も途中駅で下車してはいろいろな車両を撮影しまくったため、結局こんな時間になってしまったのだ。
昼飯は駅ナカのそば屋で軽く済ませただけだったので、大橋の腹はさっきからグルグルとうるさいぐらい空腹を主張しているのだが、そんなことはどうでもよかった。まずは自分の撮影した成果を確認するのが先だ。大橋はワクワクしながら、ほの暗い住宅街を自宅へ急いだ。
と、向こうからダンプカーのエンジン音が近づいてきた。
大橋は慌てて道の端に寄った。この道路は幅員が狭い。まともに歩きながらすれ違うことは不可能だ。電柱の影に寄った大橋の横を、ギリギリでダンプカーがすり抜ける。もうもうと上がる排ガスに、大橋は思わず顔をしかめた。
その時、ダンプカーのエンジン音に混じって、ザワザワという音が聞こえた気がした。
大橋ははっとして走り去るダンプカーの荷台を目で追った。何かの木の枝が、荷台にぎっしりと積まれているのが見える。ダンプカーの振動とともに、その葉がザワザワと音をたてて揺れていた。
――あれは。
ある予感にとらわれて、大橋は足を速めた。
程なく、おととい嘔吐した電柱……確かに、乾いた嘔吐物がまだ残っている……が見えてくる。恐る恐るその向かい側を見た大橋は、その目を大きく見開いた。
おとといの夜は確かにあったはずの、あの大ケヤキが跡形もなく切り倒されていたのだ。直径六十センチはあろうかという切り株だけが、わずかにその痕跡を残すのみだ。奥にあったはずの社も、狛犬も、そして一万円を放り込んでしまったあの賽銭箱も、何もない。
――ウソだろ。
この地区では今、再開発事業が進んでいる。古い住宅地や空き地を整備し、道路を拡張し、規制を緩和して大きな建物を建てようという動きが盛んなのだ。もう少し駅に近い場所では既に新しいビルが建ち、大がかりな商業施設が誘致されている。こんなところにも、その再開発の余波が及んできているのだろう。
わずか二日ばかりの間に、あの社と賽銭箱の一万円は何処ともなく消えてしまった。がらんとしたその空き地を見ながら、大橋は胸を締め付けられるような寂寥感に息苦しささえ感じた。自分もこの社と同様に、間もなく用なしとして整理されてしまうのではないか。そんな予感が一瞬胸をかすめ、言いようのない不安に襲われた大橋は、しばらくの間その場に立ちつくして動けなかった。
その時だった。
「うう……」
低く、しぼり出すような声。同時に、鼻水をすすり上げるような音が聞こえた気がして、大橋はきょろきょろとあたりを見回した。
程なく、大橋が嘔吐した電柱のさらに一本先にある電柱の根本に、誰かがうずくまっているのが目に入った。電柱に取りつけられている街路灯の白っぽい光に、その背中が淡く照らし出されている。声からすると、どうやら若い女性のようだ。
大橋は恐る恐る、その人物の方に歩み寄った。
近くで見る彼女(?)は、何とも不思議な格好をしていた。顔の両脇に一筋ずつ残している他は、残りの髪を頭のてっぺんで一つにまとめ上げ、まとめ上げたところに、おひな様がつけている冠かかんざしのようなもの……和風ではなく、どちらかというと中国風の雰囲気だ……をつけている。淡い藤色の、これまた中国風の着物のようなものを着て、羽衣のような白い布を両腕にまといつかせているのも変わっている。日本人ではないのかもしれない。大橋は声をかけるのをやめて、そっと後じさった。
その時だった。その女がふっと顔を上げ、くるりと振り返って大橋を見たのだ。
瞬間、背筋を電流が走ったような感覚にとらわれて、大橋は息をのんだ。
最初のコメントを投稿しよう!