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抜けるような白い肌に、涙にぬれて愁いを含む、長いまつ毛に彩られた大きな瞳。形よく筋の通った鼻に、何か言いたげにほんの少しだけ開いている花びらのような唇。細く長い指の先にある桜貝のような爪は、マニキュアなど塗る必要もなさそうなほどピンク色に輝いている。
とにかく今までの人生の中で、大橋はこんな美女の半径三メートル以内に近寄ったこともない。珍しい動物でも見るような目つきで、思わずまじまじとその女を見つめてしまった。
すると、女がゆっくりと立ち上がった。
背は、百七十五センチメートルの大橋より十センチほど低いくらいだろうか。だが、頭が小さく均整の取れたスタイルのせいか、それより高いようにも感じられた。
彼女はじっと大橋の顔を見つめていたが、やがてゆっくりと歩み寄ってきた。
大橋は内心焦った。泣いていたところを見ると、彼女はよほど困っているのだろう。ということは、このあときっと何か話しかけてくる。中国語など分かる訳もない。逃げようかとも思ったが、なぜか体が動かなかった。
その間に女は大橋の目の前に立った。上目遣いに、その愁いを含んだ大きな瞳で大橋をじっと見上げている。間近で見るとますます美しいその瞳に吸い込まれてしまいそうな気がして、大橋はごくりと唾を飲み込んだ。
すると花びらのような唇がわずかに動き、その隙間から、鈴を鳴らすような美しい声が響いてきた。
「おまえ、私が見えるのだな」
ニイハオ、などと間抜けなことを言おうとしていた大橋は、言葉を飲み込んだ。今のは、確かに日本語だった。しかも、訛りのない、美しい発音の。
――日本人か、よかった。
大橋はほっとしたが、ふと眉根を寄せた。
――見える?
戸惑ったような表情を浮かべた大橋に、彼女はほんの少し首をかしげ、形の良い唇を引き上げて小さく笑いかけた。彼女の背後に大輪のバラが数百本咲き誇ったのかと思うほど、美しい笑顔だった。そして、その唇から、再び鈴の転がるような美声を発する。その美しさは、言葉の意味を考える脳のリソースを全て奪われてしまうほどだった。
「願い通り、もうちょっとマシな人生を送らせてやる」
鼻の下をだらしなく伸ばしてぼんやりしていた大橋だったが、はたと正気にかえると、首をかしげた。
――マシな人生?
今の彼女のセリフに、大橋は何となく覚えがあった。だが、いったいいつ、どんなシチュエーションでその言葉を発したのか、どうにも思い出せない。あわてて記憶層に検索をかけながら、大橋は眉根を寄せ、女をまじまじと見つめ直した。
すると女は、何を思ったのかその白く長い指先を大橋に差し伸べた。思わず避けるように後じさった大橋の手を、その指が絡みつくように捉える。ひんやりと冷たく、それでいてふんわりと柔らかい感触。異性に触れられたのは、小学校の運動会で女子とダンスをした時以来だ。心拍数がはね上がり、血流が頭部に集中して、大橋は何が何だか分からなくなりかけた。
すると女は、その頬に優雅なほほ笑みをたたえながらこう言った。
「腹が減った」
「は?」
思わず聞き返した大橋に、彼女は女王然とうなずき返す。
「喉も渇いた」
「へ?」
まるでバカのような返答しかできないでいる大橋に、彼女は天使のような笑みをたたえつつ、鈴の転がるような美声で、当然のようにこう言ってのけた。
「早く何か食わせてくれ」
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