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よく晴れた日に、わたしはキミを拾った
「俺……は――」
「わたしは確かに三夜の事が好きだった。愛していたよ。五年経った今も愛おしいと思う」
「――――じゃあ」
彼の顔が悲痛に歪む。
「だけど、わたしを呪縛から解き放ってくれたのはキミなんだ。わたしはね絵を描くと誰かと交わらないと昂りすぎてしまった熱を治める事ができなかった。だから……三夜を傷つけた。だけど、キミを描いてもわたしはわたしのままでいられた」
「それは――俺の事何とも思ってないから……」
「いや、逆だと思う。キミの事を想うだけで心が温かくなるんだ。キミを描いてもどんどん描きたいという熱は高まるのに、その熱に支配される事はない。ただ描きたい、描き続けていたいと思うだけで自分ではどうしようもできない衝動に駆られる事もない。わたしはキミといると大きな海に抱かれているように安心するんだ。わたしはこれが『愛』なんだと思う。三夜に対するものとはまた違った『愛』。キミの事が必要で大切で、――愛おしいんだ。――わたしは、キミの事を愛している」
「筝さんも見つけたんですね」
突然背後から聞こえた懐かしい声。
振り向くと、そこには微笑むかつての恋人の姿があった。
「三夜――」
「三夜ちゃん!」
「三日月、あなた勘違いしてるよ。僕が筝さんの様子を見てきて欲しいってお願いしたのは、筝さんが心配だっただけ。僕は筝さんから逃げたから。自分だけが傷ついたつもりでふたりでロクに話し合う事もせず、自分を守るために逃げてしまったから。僕は雄介さんと幸せになりたい。だから筝さんも幸せでいて欲しかった。これはただの僕の自己満足。筝さん、あなたから逃げてしまってごめんなさい。あなたが苦しんでいた事を傍にいた僕が一番知っていたのに、本当にごめんなさい。それと沢山の愛情をありがとう。僕は幸せになります。筝さんもどうか幸せになって。――さようなら」
そう別れを告げた三夜の笑顔は、曇りのない笑顔だった。
記憶の中の笑わなくなってしまった三夜が笑顔の三夜に塗り替えられていく。
わたしたちは五年経ってやっとちゃんとお別れをする事ができた。
三夜が帰り三日月とわたしの二人だけが残された。
「筝、さん。俺……」
ぎゅっと握りしめられたキミの両手。
わたしを不安気に見つめ揺らめく瞳。
この瞳をわたしは知っている。
観察するようにわたしを見つめていたのとは別に、こっそりと向けられたこの瞳。わたしの事を愛おしそうに見つめる瞳。
「俺、あんたが俺を見る瞳が優しい事に気づいてた。でもそれは俺の中にある三夜ちゃんを見つけたからで、三夜ちゃんの事をまだ愛してるって証拠で、俺は三夜ちゃんの為にあんたの傍にいるわけで……って俺何言ってんだ。そうじゃなくて、あんたと三夜ちゃんは両想いだと思ったから、だから俺は、――あんたから逃げた、んだ」
猫のように気分屋で猫のようにマイペースだと見えていたけれど、キミはこんなにも繊細でこんなにも優しく、臆病だけどとても強い。
キミは逃げたと言うけれど、本当はわたしのために身を引いたんだ。
三夜とキミとの間でわたしが苦しまないように。
そうじゃなければ押入れの奥の奥に仕舞ってあった三夜の絵を、ヒントの紙きれを、わたしが見つけるように仕向けるはずがないじゃないか。
ただただわたしと三夜の幸せを願ったんだ。
三夜とキミはやはり似ている。
だからといって三夜に似ているからキミを好きになったんじゃない。
キミがキミだから好きになったんだ。愛してしまったんだ。
――わたしの想いはもうすべてキミだけのものだから。
「――――うちへ来るかい? 仔猫ちゃん」
あの夜のわたしのセリフ。
ゆっくりとキミに手を差し出す。
わたしにはキミが必要だ。
どうかわたしのこの手を取って。
どうかわたしとの未来を選んで。
祈る想いでキミを見つめる。
おずおずと出されるキミの痩せた手。ゆっくりとわたしの手を握る。
キミがわたしの手を取ったから、わたしはキミを抱きしめる事ができる。
わたしとキミは共に必要で大事で、愛おしい。もう二度とこの手を離さない。
キミは真っ赤な顔をして少しだけ嬉しそうに「にゃあ」と小さく鳴いた。
よく晴れた日に、わたしはキミを拾った。
-終-
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