過去の後悔と喪失と

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過去の後悔と喪失と

 わたしは裸夫画専門の画家だ。  モデルと散々()()()()()()もしてきた。  情熱を注いで作品を描くという事はそういう事だ。  気分が昂り性欲が精神さえも支配して、身体がどうしようもなく熱くなる。   熱を発散しなくては狂いそうになってしまうのだ。  そうやってモデルと数え切れない程肌を重ねた。  あちらにその気がなければ夜の街へと足を運ぶ事もあった。  合意の上の割り切った関係で、お互いに『気持ち』は存在しなかった。  わたしは誰とも付き合う気なんてなかった。  誰か一人特定の相手を決めてみても毎回自分の都合で付き合わせる事はできないだろう。そうなれば熱の発散は充分ではなく絵を描き続ける事が難しくなる。絵はわたしの魂そのものだった。  付き合う気がないというよりは付き合う事ができない、の方が正解かもしれなかった。  そんなわたしがひとりの人に恋をした。  彼は画材ショップの店員で、会うといつも控え目に笑顔をくれた。  わたしは用もないのにショップへ通い彼と仲良くなろうとした。  そしてわたしから告白して彼は顔を真っ赤にさせて頷いてくれた。  最初で最後の恋人。  誰とも付き合えないと思っていたわたしが唯一心奪われ、この人でないとと思わせた人。  恋人は誰かと付き合う事が初めてで、なかなかわたしと身体を繋げる事ができないでいた。  わたしはそれでも我慢したいと思った。熱に脳が焼き切れそうになっても恋人以外と身体を繋げる事は恋人への裏切りだったから。私は必死に我慢した。  だがそんな日が何日も続き、絵を描く度に昂る情欲。自分でもどうしようもなくなってしまい、モデルと関係を結んだ。熱に浮かされての事だった。  精を吐き出しすーっと熱が引いて行くこの感じ。この快感をなんで自分は我慢ができていたのかと思った。  絵を描くと熱で昂り、発散させなくては生きていけない。  わたしはそういう生き物だ。  それはただの――そう、気持ちは存在しないのだから医療行為のような、そんなものだとわたしは思った。いや、思おうとしていた。  恋人にもそれを強要した。これは浮気ではない。ただの医療行為なのだから見逃してくれ、と。  そして、恋人もそれを納得してくれたと思っていた。  それからわたしはその日から毎日のようにモデルと医療行為に耽った。  恋人の心を分かろうともせずに。  恋人から笑顔が消えた事に気づきもせずに。  恋人の涙に気づこうともせずに。  わたしはあんなに愛しく大切だと思っていた恋人より絵を選んでしまった。 *****  ある朝目が覚めると恋人は姿を消していた。  ――――付き合い始めてすぐの頃に描いたわたしを見てはにかんで微笑む裸体ではない彼の一枚の絵だけを残して。  それ以外の物は彼の髪の毛一本たりとも残されていなかった。  身なりも気にせず急いで走った彼の職場である画材ショップにも彼の姿はなかった。退職してどこへ行ったか分からないという事だった。  わたしはそこで初めて目が覚めた気がした。  何が医療行為だ。あれは恋人に、愛する人に対する裏切り行為以外の何物でもなかった。  ――――――わたしはその日最愛の恋人を失い、絵も描けなくなった。
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