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彼の中の彼
あれからわたしは彼に必要以上に触れる事なく、本物の猫にするようなお世話をするだけにとどめた。
彼は寝て食べてまた寝て、朝目が覚めるとソファーで眠っていたはずの彼が同じ布団で眠っていたなんて事もしばしば、本物の猫のような生活を送っていた。
少しでも居心地がいいと思ってくれているだろうか?
彼はまだここにいてくれるだろうか?
彼の心の中は分からない。
ただ「ごはんおいしい」「ふかふかの布団好き」「お昼寝気持ちいい」「構われるのは嫌い」こんな感じだろうか。
彼の口からは「にゃあ」とだけ。
その鳴き声の調子と少しの表情の変化だけ。
そしてなぜか時折わたしの事を観察するようなするどい視線をむけてくる。
彼はわたしに興味があるのだろうか?
何を思ってわたしを見つめるのだろうか?
わたしの方も気が付けば鉛筆で彼の姿をちらしの裏に書き留めていた。
無意識の事だった。
あんなに描き方が分からなかったのに、あれほど裸夫画にこだわっていたのに。
かつての恋人以外で服を着た人物を描く事になるなんて。
しかもこんなちらしの裏にだなんて、画家としてのプライドとかそんなものはどうでもいいくらいに彼を描きたくてしょうがなかったのだ。
彼の表情が瞳が仕草が、彼のすべてがわたしの心を揺さぶる。
――そしてわたしは彼の中にかつての恋人を見つけてしまった。
確かにふたりは別人だというのに。
彼は彼とは違うのに。
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