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◆ Maison Close - 閉じられた家 -
菫香水の染み込んだ肌の匂いが今も消えない。この指の腹、記憶の奥底、おのれの血潮にこびりついている。
初めに、ウィオラ・ベネットは肱掛椅子に崩れおちる美女を夢想した。髪を垂らし手で払うこともせず腿まで覗かせた、あられもない寝姿。かつての彼女をなぞるようにウィオラもまた体を横たえる。
降りしきる雨が窓の硝子に鋭い引っ掻き傷を作った。同じような傷を彼女が他の男の背に残していたのだろうという想像は容易い。
彼の心は虚しく、部屋には――男を除く――人っこ一人いないがらんどうで金目の物はすべて競り落とされた後だった。
この家にできることは彼に語らせることだけだが、進んで口を割ろうとはしないだろう。暮らしたのは娼婦一人。美しく哀れで終生幸運に見放された女だった。
娼婦は大層にも自らにユークレースという宝石の名前をつけた。彼女の双眸はたしかに宝石さながらの輝きと青みを放つ緑色をしていたが。
視線を落とすと綿埃が床に詰まっていた。ユークレースも足裏を汚しながら歩いたのだろうか、あるいは薄手の靴下か。女は掃除もろくにしなかったらしい。いや、もしくは娼婦の私物の一切を根こそぎ掻っ攫って人びとが舞わせた埃が落ち着いた後かもしれない。
ただ唯一残された肱掛椅子から体を起こす気にはまだなれなかった。本当に彼女はこのような体制だったのだろうか? この問いに応えてくれそうな人は今はない。しばらくの間、ウィオラは静寂の中にいた。窓に映る自身の顔に虚ろなまなざしを向ける。するとふいにかつての女のものとごく自然に重なり、たちまち娼婦の顔へと変貌した。美しいユークレース……
男はこの脂肪のかたまりを愛していた。
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