クモ

1/1
前へ
/10ページ
次へ

クモ

888345ae-3320-4700-a74a-88c9e8974da2「この土地は…」 『知ってる土地?』 「かつて、イルスの村があった場所だ。」 『イルス?』 およそ700年前からトワの村とイルスの村は、山に囲まれた広い平野を大きな川を隔てて東西にあった。 トワの村は戦士、イルスの村は星読みの才に恵まれ、お互いに補い合いながら共存していた。 『何にもないよ?』 「ソフカにイルスの村は襲撃されて、滅んでしまった。」 ソフカという北を拠点にしている部族で、好戦的で周辺の村を襲っては、食料や女を強奪する。 『うえー。トワは大丈夫だった?』 「戦士の半数が殺されたが、何とか退けたと伝わっている。そういえば母がイルスの血筋だ。」 トワを出る時、毋から聞いていた。滅んだ際、大半がトワの村に避難し、定住した。現在のトワの村にも、母も含め星読みができる者もいる。 「伝説も残っていて。今から行く洞窟にも関係しているから、少し歩いてから話そうか。」 北にある山の洞窟で、火にあたりながら話を始めた。 ソフカの襲撃によって、壊滅的になったイルスの村民の数人は、ソフカに捕らえられていた。 『アト、映像も加えていい?ニコの座っている石…記憶があるみたいで、アトの話に共鳴してる。』 「ああ。」 共鳴…初めてだ。ニコに記憶を読んでもらう。 「クモ!本ばっか読んでねえで、矢の練習はしたのか?」 いつもの甲高い声。いちいち癇に障る。 「クモには無理だって族長。弓すら引けねえのに。」 「ソフカの族長は武勇に長けているってのに、その息子は弓だって剣だって使えねえ。けけけ。」 うるせぇな。弓だって剣だって、使える奴がやればいい。 それしか使えない奴らに、言われたくない。 俺にとって、本は「世界」だ。全ての知識が詰まってんだ。 「でもよ、トワの戦士の裏をかいた、クモの作戦は見事だったぜ。」 「トワ襲撃の作戦も立ててくれよなー。トワに切られたとこがまだ痛え。」 それはトビが、トワまで手を出すからだろうが。今回しかトワには効かない作戦だ。 綿密な策も無しに勝てるなら、今頃トワの村なんて無くなってる。 イルスの襲撃成功を祝って、野外で宴が開かれている。酒が入って嫌な奴が、もっと嫌な奴になっていた。 「さーて、女でも食ってこよーかなっと。」 「俺もーよりどりみどりだな。ケヒヒヒ。」 「お前ら!壊さん程度にしとけよ!」 「チッ、わーてるって。」 心の底から湧き出る嫌悪感。獣みたいに。 「イルスの星読み…」読んでいたイルスの伝記を脇に置く。 天候やその日の吉兆、未来に起こり得る出来事を読む「星読み」… 能力の高い者は、絶対に外さない。 ただ、能力に長けた者ほど、力を使うごとに体のどこかを壊す。 「星読み」と言うから、てっきり空の星で何かをするのかと思っていた。 複数の女の狂ったような悲鳴が、辺りに響き渡る。 …気分が悪い。その場を離れようとした時だった。 「ああ?逆らうのか?」 トビの下品な声。目を向けると、女を庇(かば)うイルスの男が見えた。 「妹に触るな!」 「てめえ、立場分かってねえな。」すらっと剣を抜く。 あのバカ、働き手の男は生かさないと、後でひどい目にあうのが分かってねぇのか。 「知った事か!お前は今、トワの毒で死ぬんだ。」 何? 「口のきき方も分かってねぇな……うげっ!」 ばっと汚い泡を吹いて、トビが前のめりに倒れる。トワの毒…? 駆け寄って、トビの汚い体を調べたら…あった。 尻の穴に近い所に、長く細い毒針が刺さっている。 「お前、星読みか?」 男に目線を合わせると、男の目が茶から赤へ変化した。 さっきの伝記にあった…能力の高い者は目の色を変化させる…茶から赤へ、 それから命がけで封印を使う時、青に変わる。 赤い目のまま…俺を指差し、 「クモ…ニエに気を向け、己をよく見よ。厄が迫っている…」 「な…に?」 男はそのままのカッコで、後ろへ倒れた。 「兄様!」 庇っていた女…妹か。これは使えるな、星読みとは都合がいい。 「お前たち2人は俺が預かる。親父!いいだろ?!」 「人に興味を持つとは珍しいな。好きにしろ。」イルスの女を抱きながら、下卑た顔で言った。 男はトイ、女はエナと名乗った。2人はイルスの神殿の神官と巫女だと言う。 星読みはトイ、その力を強くするための舞を、エナが舞うそうだ。 「お前が言った、あの星読みはどういう事だ?」 「俺は…相手に起こるであろう出来事を、告げることしかできない。」 辛そうに言う。 そうだろう…他の力があれば俺の策も回避できた…。 「寒いなここは…」 ソフカは北の高い山の中にある。 毛皮を2人に渡し、2人で使えと部屋を与えた。 暖炉に火を入れれば、暖かい部屋になる。 「ニエ…贄(にえ)の事か。」 ソフカにも神殿がある。祀っているのは魔の物だ。人の心に取り憑くクソな魔の物。俺は心底嫌いだった。嫌いといえば、ソフカもだ。ソフカの人間にも吐き気がする。 トイとエナを、預かると言った事を思い出し… どこかで、ソフカ以外の人間を求めていたのかもしれない。 「あのムナクソ悪い神殿に1年に1度贄を差し出す…関係しているかもしれんな。」 「あの…贄って…?」 イルスではないのか… 「人間を魔の物に供物として差し出すんだよ。このソフカではな。」 青くなるエナ。これが普通の人間の反応なんだな。 「残るは「厄」だが…浮かばないな。」 椅子に座って考えていたが、今の時点では何も分からなかった。 厄なら、ソフカに生まれた時点で「厄」だろう… まあ、魔の物関係ならアレが手に入ったし、何とかなるか。 「そんな事より、お前たちの暮らしの話をしてくれ。」 「イルスのか?」 「ソフカは魔の物に取り憑かれた、異常者の集まりだ。 普通の村の暮らしが知りたい。」 赤ん坊の時に神殿に連れて行かれ、無垢な内に魔の物の洗礼を受ける。 成長すれば殺戮と強姦が本能な「ソフカの人間」が完成する。 俺はくそ親父と奴隷女から産れた。 洗礼を受けさせたくない母親は、俺と逃げた。 だが、逃げ込んだ村が襲われる。4つの時にソフカに連れ戻されたため、 殺された母親の目論見どうり洗礼は受けていない。洗礼を受けてないのは、奴隷以外では俺1人。それゆえに、ソフカの人間とは全く合わなかった。 トイとエナの話は新鮮だった。 本でしか見た事のない村と村との共存。星読みの話。 俺は聞いた話を白紙の本に書き留めた。一番興味を惹かれたのは、「家族」。 「両親」は子供を「愛しむ」。 夫婦で協力して、子供にいい暮らしをさせるために努力するそうだ。 ソフカには無い事だった。子供は働き手か兵士に、女は子供製造機で、 従順でない者は贄にされるか処分される。 それと「友人」。 知らない者同士が「仲良く」なって「笑い話」をしたりするらしい。 「他人同士でか?」 「そうだ。悩みをお互いに相談したりもする。」 「自分の弱い面を、他人に話すのか?ソフカでは生きてないな…」 「信頼と言う言葉は、存在しないのか…。」 これは理解するのに時間がかかりそうだ。 トイは幼少の頃に、星読みの能力を発現させた。星が降ってくるように、言葉が頭に降ってくるらしい。 それで「星読み」と言うのかと納得した。 そのまま神殿に連れて行かれ、両親の顔も朧げだと言った。 隠れて兄に会いに来ていたエナにも、舞い手としての能力が発現。共に神殿暮らしとなったそうだ。神殿で身の回りの事は自分でしていたようで、料理から掃除までこなす。 妹もそれを手伝うから、家を任せてもよさそうだ。 エナは何かと俺の髪をいじりたがる。伸びたらナイフで適当に切ると言えば、意地になって 「絶対切らせて!あーもう痛み放題だわ。さらさらに変えてみせるから!」 俺の髪がどうなろうが、誰も気にしないが…どっちでもいいのでやらせる。 髪の毛を触る時の、エナの「鼻歌」が気に入った。 その内、本当に髪がさらさらになった。 「クモ!話がある。」 族長に呼び出されたのは2人に出会ってから、2年後のことだった。 「お前んとこの奴隷女を贄に寄越せ。」 「は?俺のものだぞ?それにこの間贄をやった所だろうが。他をあたってくれ。」 「今回だけはダメだ。何でか名指しでよ、 「クモんとこのエナを寄越せ」ってな。」 「?!」 背中を嫌な寒気が走る。あのクソな魔の物が?本当なのか? 急いで俺の家まで走る。 「俺の家で何してやがる!!」 エナを数人の男が連れていこうとしていた。 トイは地面に押し付けられている。 「贄を連れに来たんだ。上玉じゃねえか!毎日味見してんのか?クモ。ヒヒヒヒ。」 「トワの毒針でも喰らいたいのか?」 吹き矢を構える。毒は俺の特性だ。 トワの毒からもっと、即効性のあるものを作った。 「お…おい。連れてこいって言われただけで…」 「その汚い手と足をどけて消えろ!俺の視界に入ったら殺す。」 「分かった!消えるよ。おっかねえな。」 ふー。心底嫌になるな、ここは。 「もう大丈夫だ。まあ入れ。」 座ったまま押し黙る。名指し?どこでエナのことを知った?誰かが魔の物にチクったのか?誰だ!殺してやる。 「クモ。星読みをしようか?」 トイ…体を壊すのを気にして、使わせなかった。 殴られたのか、右の頬が腫れていた。 「…いいのか?」 トイとエナの目が赤く染まる。エナの舞は…何と表現するのか… 「美しい」だ。目を奪われる。 「クモ…ニエを諦めろ。さもなくばお前が…グッ。」 胸を押さえてしゃがみ込む。やはり…体に何か壊れた所があるな…。 時々、痛そうに胸に手を当てていて、エナが何か唱えているのを、何度か見たことがある。 「無理をさせたな…休んでいろ。」 「いや…まだ星読みを…」 「…俺の意思は、お前らを手放す気がない。 まして、あのクソの魔の物になんぞにくれてやる気もない。」 「クモ…」 当たり前だ。本だってまだ書きかけなんだ… 何より… ソフカに2人をこれ以上巻き込みたくない。 「少し出かける。誰か来ても家に入れるな。」 「兄様、クモが危ないのね。そんな体で星読みまでして…」 「ああ。あの魔の物に…封印しないと…うぅ」 「封印って…兄様…ぐす…」」 「泣くな、エナ。もう長くない命だ。俺が封印するから…エナはクモと一緒になれ。」 「兄様…」 ムナクソ悪い神殿を、ズンズン歩いていく。 黒い柱に黒い床や屋根、深部に近づく度にイライラした。 「おい!いるんだろ、ガコク!」 『なんだ、頭でっかちのクモか。』 黒くヌメヌメした物が、下から這い上がってきた。 『ア…アト…怖いよ、なんかこいつ…』 「俺もだ、カムイが反応している。さっきから寒気が治らない。」 「分かってんだろ?贄の話だ。」 『ああ、あれか。エナという女。早く寄越せ。』 「あれは俺のものだ。ソフカの女でいいだろうが。」 『ダメだ。』 ゴロゴロ、ゴポゴポ。嫌な音がする。 『ソフカの女は飽きた。俺の息がかかった女より、イルスの気が強いエナがいいなぁ…犯して犯し倒して、汚れた体を食いたいなぁヒヒ。』 頭が痛くなるほど怒りが走る。 「俺の女だ!」 『?!マジか!惚れたのか?お前が?ケヒャヒャヒャ!』 「何がおかしい?」奥歯を噛み締める。 ケースに手を突っ込み、持ってきた物を掴む。 『お前だぞ?他人に興味が一切ない!女にも!空虚なお前が女に惚れたって…ヒャヒャヒャ!』 「クモ!」 「…トイ?」 「そいつを封印する!下がってくれ!!」 「バカ!来るな!…エナ!なんで来やがった?!」 『ヒャハハハ!贄から来てくれるとはな!イルスの男も、 まとめて可愛がってやるかぁ?ヒャヒャヒャヒャ!」 ボコボコボコ させる訳ないだろうが!掴んでいたものをぶっかける。 『ぎゃあああああ!』 やっぱり、「浄化の女神の水」は効き目があった。 『!!クア様の?ええ?』 「この時代では「浄化の女神」なんだな…」 トイの目が赤くなり、…青へと変わる。そんな体で… 「クモ!離れて!」 エナが叫び、目を赤くして舞が始まる。 次第にガコクの体が小さくなっていく。 『ちくしょう!てめえイルスの神官か!!』 「ぐうぅ…。」 片足をついてなおも、青い目で封印を…トイ… 『体に腫瘍ができてんな?残念無念!ひへへへ!クソッタレな水も尽きたのかぁ?女はもらった!!」 びゅっとエナの方へ。ふざけんな!エナは俺の…くそが!! 向かってくるガコクとエナの間に立つ。 俺の体にガコクが吸い込まれていく。意識を持っていかれそうだ…よろよろとトイが目の前に… 「クモ…俺の目を持っていけ……」 トイが俺の両目に触れて…光ったと思ったら、崩れ落ちた。 「ト…イ…」 『おー空虚なお前の内は、居心地がいいな!ひひひ。』腹から嫌な声がする。 「兄様…。」 エナが泣きながら、また舞い出す。エナの目も…青に変わってしまった。 巻き込みたくなかった…また3人で家に帰って、トイの妙に美味い料理を食べ…エナに髪を整えてもらって、エナの鼻歌で眠る… 俺はただ、それだけでよかった…それだけでよかったのに。 目からトイの声が… 『すまない。ガコクをお前の体に封印する…これは外に出してはならないモノだ。俺には…こんな事しか…ク…モ…』 「トイ…いいんだ…それに箔が付いていいな。「魔の物を飼う者」ってな。」 黒い柱に写った俺の目が、黒から赤へ、赤から青へ変わる。 『うげっ!何を…げひゃあああああああああ!!』 『ここで品切れだよ…』 ニコの座っている石の影に、本らしきものが泥に埋まっているのが見えた。 「あの伝説に、こんなことがあったとはな…」 この後神殿を白く立て直し、ソフカで魔の物を封印した英雄として崇められる。伝説の教訓として、魔の物は見かけたら消すか封印するのが、トワの掟になった…といったところか。 「さて、行くかその神殿に。」 『クモの神殿?』 「そこからクアの記憶の気配がある。それともう一1つ、さっき感じたガコクの気配もわずかにある。ニコ、俺から離れるな。」 『…うん…』 洞窟の奥の方へ進んでいく。奥へ進む度に空気が重くなっていった。 『ソフカはそのまま残ったの?』 「いや、トワの戦士によって滅んだ。」 『えっ…クモとエナは?』 「あそこだ。」 長い時間であちこち崩れている神殿の深部に、綺麗に着飾った人間の骨が玉座に座っている。 『エナ…?』 トワの戦士たちはソフカの村人を、イルスの村人はクモもろとも神殿自体を封印した。 「なあ、そうだろうクモ…」 岩の影がのそっと動く。14、15歳ぐらいの少年が現れた。 『誰だ?…トワの戦士か?』 身体中に封印の入れ墨が見え、ゆらゆらと揺れる骨と皮だけの体。 岩の壁に沢山の血文字が…爪のない、黒く変色している細い指先も見えた。 トイを失い、エナも目の前で失ってから、イルスの封印を受け入れて…途方もない長い年月を、一人で過ごして来たのだろう。 カムイがカタカタ反応している。 『何だろう…クモを見ていると泣きたくなる…』 大神に「提案」されていなければ、俺もこんな風になっていたかもしれない。 『精霊もいるのか…つくづくやりにくいなトワは…俺を再度封印しに来たのか?』 「いや。お前を…命の環(わ)に帰すために来た。」カムイをすっと抜く。 『…本当か?俺もやっと…』 骨のエナの方へ、よろよろと歩いていく。 『アホか!俺まで消えちまう。』 気配が急に変わった。重くねっとりとした空気がまとわりついてくる。 「ガコクだな。」 『…気持ち悪いよ…アト』俺の首に巻きついて萎れるニコ。 俺がカムイで浄化させるのは、今なら容易い。だが、クモは…仇を打ちたいだろう…大切にしていた、トイとエナの。 「クモ!お前が終わらせろ!浄化の女神の剣で!」 カムイをクモに向かって投げる。 目が青く変わったクモの細い腕が、しっかりとカムイを掴んだ。 『トワの戦士…感謝する…』クモがふっと笑った。 『やめろ!くそったれ!!まだ「目」が効くのか…ちくしょうおおおおおお!」 『もう終わりだ。…エナ、やっとお前に会える…トイ、また話を聞かせてくれ…』 自分の胸にカムイを刺し込んだ。 「ぎゃああああああああ!!』 クモの体が砂になって消え、ガコクの気配も完全に消える。 エナの頭蓋骨から、クアの記憶がポロリと落ちた。 『なんでクモが、生きているって知ってたの?』 外の空気を吸い込む。洞窟はカムイで清められ、森と変わらない気配になった。 「封印は完全に消しさる訳じゃなく、動けなくするだけなんだ。クモの体が死ねばガコクも死ぬ。」 『あいつがクモの体を不死にしたのか…本当に嫌な奴だったな。』 つくづく言い伝えは、第3者の目から見たものしか伝えない。 最後に笑ったクモ…クアのあの笑顔が重なる。 近いうちに水晶の書き換えもしておきたいな。クモの物語を後世に伝えたい。 『よーし!次の目的地はわかる?』 「そうだな…南の方だ。」 『行こうぜ!相棒!』 「ああ、相棒。」 立ち止まっていられない。俺たちは南へ向かう。 完
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加