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カノク
『ヨル!しっかり!』
『カノク…離れて…私はもう…うぅ…』
荒れ狂う海の上、その上暴風が吹き荒れていた。ヨルの後からもやもやと湧き出る「黒いもの」。
『カノク…カノを頼んだ!』
ドンと押されて、吹っ飛ぶ。
『ヨルー!!』
『あーつーいー…』
もう4日は密林を歩いている。
南の方角からクアの記憶の気配を、潮風と共に感じ真南を直進。
広い草原から密林に入ったが。
「この暑さだけ…でも、何とかしないと…」
行けど行けど密林で、途中木の実や果実で水分を補給してきたが、暑さは変わらず。
加えてこの高い湿気と温度。見渡したのの、湖もなければ池もない。
参ったな…目が霞んできた。
ガサッ!
「ニコ。何かいる…」
よく見てみると…おそらく、隠れているのであろう小さな獅子。
太めの四肢に豊かなたてがみ、全体に白く、鮮やかな青い目が際立つ。
気配は隠さず、体も隠さず、小さな石で顔だけ隠していた。言ってしまえば…丸見えだった。
『あっ!カノク!』
ぺてぺてと獅子に近づいていく。
『…ニコ?』
「ニコの…知り合い…か…」ドサッ
『わー!アトー!!』
ふと気が付くと、見たことのない天井が見える。
「気が付いたね?気分はどう?」
恰幅のいい日に焼けた中年女性の顔が、心配そうに視界の横から現れた。
「ここはあたしんちだよ。あんた熱中症だったんだ。熱が体の中にこもってしまうと、気分が悪くなったりするんだよ。カノクちゃんとニコちゃんが運んで来た時、重症でびっくりしたよ、ほら。」
黄色い飲み物を渡された。甘味があって飲みやすい。
「少しフラつくが…大丈夫だ。ありがとう。」
「この辺で採れるクルルの実のジュースだよ。気に入ってもらってよかった。ふふ。あたしはカノのユイ。」
南にあると聞いていたカノ。豊かな海で取れる魚の加工品と、甘味のある果実と特産品が多いカノは、最近増えてきた村よりも人口が多く、面積も大きい「街」。倒れてしまってじっくりと見ていない。
「トワのアトだ。」
「やっぱりトワの。この街はトワの戦士に魔物を退治してもらった恩があってね。」
俺の髪飾りを見ながら言う。修行で寄ったらしいトワの戦士。
先人に感謝だな。
「白い花がいるはず…」
「ニコちゃんなら、カノクちゃんと街に行ったよ。」
精霊を自然と受け入れている…大きな街なのに珍しい。
「カノク…」
倒れる前に見た獅子のことか。
「カノは初めてかい?」
頷くと教えてくれた。
カノクはカノの街の守り神で、街で知らない者はいないらしい。
聖獣…聞いた事はあったが、実際会うのは初めてだ。
「街の皆は、犬のように可愛がっているのよ。」と笑う。
カノクの青い目…クアもそうだが、ソフカのクモやイルスのトイの目も青だった。浄化や封印を行う力があるものは、目が青いのか?
『アトー!なんかもらったー』
小さな白い獅子に乗る白い花が、果実や肉を自分の蔦に巻きつけて部屋に入って来た。見た目が葡萄のようだ。
『ユイ、おみやげ!』
「ありがとうカノクちゃん。ニコちゃん重かったでしょう。よーし今日も美味しいの作るからね。」
『わーい!』尾を振って走り回る獅…犬。
獅子神と言うよりは、しゃべる子犬のようだ。
カノの郷土料理が並び、どれもこれも美味しくいただいた。
外から人の気配が近づいてくる…敵意はないようだ。
「たでーまー…うぉ?!」
「お帰り、あんた。」
ユイより日焼けした肌で、シワが多く細いが、筋肉質の男がじっと俺の方を見ている。
「トワのアトだ。熱中症で倒れていた所を助けてもらった。」
険しい顔をしていたが、ニッと笑った。
「トワの戦士…そうか、大変だったな。熱中症は死ぬこともあるんだ。まあ、ゆっくりしていきな。」
「あんた、今日もダメだったのかい?」
「ああ…さっぱりだ。」
ユイの夫はキサといった。カノの漁師をしている。
ここ3年ほど、魚が全く取れなくなったそうだ。
「魚もいなければ貝もいねぇ。もっと遠くの海に出たいが、船を進めると転覆しちまう。」
漁師が乗った船が、そう簡単に転覆するのか?何か理由がありそうだ。
「転覆…させられるとも聞こえる。原因は何か、分かっているのか?」
2人して白い花と遊ぶカノクを見た。哀れんでいるよな顔で、キサが言う。
「カノクが眠ってから話すよ。」
寝静まった頃、キサとユイが話してくれた。
カノの大地をカノクが、カノの海を「ヨル」とうい上半身は人間のような、下半身が魚の聖獣が守っていた。
大地から多彩な果実がとれ、海からは魚や貝、海藻が。自然と人間が集まってきた。
南独特の人懐っこい人間を気に入り、住まわせてくれた。
キサとユイからは、カノクとヨルに感謝している気持ちが伝わってくる。
どんどん大きくなる村が、やがて街になった頃、異変が起こる。
「ヨルに「黒いもの」が取り憑いたんだ。」
「!!」
こんな豊かな土地にも「黒いもの」が湧いて出るのか…
最初はヨルも抵抗していたが、無限に湧いて出る「黒いもの」にとうとう飲み込まれてしまった。
「怖かったよ。カノクちゃんも頑張ってくれて。街の皆もなんとかしようとしたけど…包丁も鍬もなんにも効かなくて。」
アレには何も効かないだろう…俺もカムイ無しでは何もできない。
以来、ヨルは海の魔物のようになり、魚がいっさい捕れなくなった。船を転覆させるのもヨルの仕業だった。
「「黒いもの」なら浄化できると思うが…」
『本当?!』
いつの間にかやって来たカノクが、俺の膝に前足をのせ、鼻息荒く尾を激しく振っていた。顔が近いな…
『ヨルを助けられる?!』
キラキラした青い目で見ている。しかし…
「取り憑かれて何年も経っているなら…下手をしたら、ヨルごと消えてしまわないかと思っている。やってみないと分からないが。」
耳が下がり、尾が下がり、分かりやすく消沈したカノクは、とぼとぼとユイの膝に。
「カノクちゃん…ヨルちゃんのこと分かんないよ。トワの戦士はすごいんだよ。それにヨルちゃんだって、苦しいんじゃないかな。カノの人たちのことも、カノクちゃんのことも、大好きだったじゃない。」
ユイが消沈するカノクを、撫でながら言った。
カノの者たちもヨルの事を心配している。
「明日にでも海に…」
「明日はやめといた方がいい。嵐になりそうだ。」
しばらく窓の外を見ていたキサが言う。
外は今晴れているが…漁師の天気予測は当たると聞いた。嵐か…
翌朝、キサの予測通り辺は暗く、明け方からの雨と風が強くなっていた。
高台にあるキサの家は、海も街も一望できる。
『アト、海から…』
今や定位置になった俺の肩上で、ニコが心配そうに言う。
「ああ、「黒いもの」の気配と…これはヨルか。それにクアの記憶の気配。」
『ヨルが持っているのかな。』
「可能性は高いな。さて、どうするか…」
隠れて俺たちを見ているカノクは…やっぱり隠れているようで隠れていない…今は小さな丸い座布団を頭に乗せて、じっとしている。
『カノクは一時、天界でクア様のとこにいたんだよ。大神に乞われてこの地に降りたんだ。』
「そうか。」クアと縁があったのか。クアの記憶は俺たち以外、消されているんだったな…首を振って思考を戻す。
しかし、策が思いつかない。
嵐の中、海を操るいうヨルにどうやって対抗できるのか…
陸に誘(おび)き出す…カムイならできるか…?
「浜辺の様子を見ておきたい。」
『分かった。行こうか相棒!』
「ああ、相棒。」
街はシンと静まりかえっていた。
普段は活気があるだろう大通りも、人の気配がしない。浜辺も静かだった。
『アト!何か来る!』
「黒いもの」の気配が濃くなり、黒い女の形をしたものが海からぽかりと浮いて出た。
「ヨルか。」
俯(うつむ)いてゆらゆら揺れている。腰のケースの中で、カムイがカタカタ反応している。
動きがピタっと止まったと思ったら、とんでもない速さで俺の方へ覆い被さった。
「ぐっ…」
あっという間に押し倒され、ギリギリと首を絞められる。なんて力だ…
ヨルの体は、頭から尾ひれの先まで黒く染まっていた。
『アト!』
ヨルに蔦を絡ませて、引き剥がそうとするが、びくともしない。
『ヨル!やめて!』
視界に、ヨルに向かって白いものが突進した。やっとヨルの手が、俺の首から離れる。
ゲホゲホ
『カノ…ク…』ヨルの掠れた声。
俺を庇(かば)うように、カノクがヨルに立ちはだかった。
『カノク…苦しい…カノク…』
『ヨル…』
ヨルの後ろから「黒いもの」が湧き上がった。
カムイをすっと抜く。クア…ヨルの「黒いもの」を浄化してやってくれないか…苦しそうで、悲しそうだ。
すると、カムイが青く輝きだす。
「!?」こんなカムイは初めて見た。
『うぅ…光…怖い…カノク…』
雨と風が激しくなっていく。身動きが取れない。
『アト!ヨルが消えるのは嫌!』
今度はヨルを庇い出す。近づいてくる、ユイの声とキサの気配。
「アトーこんな嵐の中、走ってってどうしたんだい?!」
「!ユイ!」
棒切れを支えにして、暴風に煽られながら、走ってくるユイとキサ。
なぜ来たんだこんな所へ…
「ヨルちゃん…」
びっくと肩を揺らすヨル。ブルブルと震え出す。
「ユイ!キサ!下がっていろ!」
『人間!』
ヨルの黒い髪の毛が、ユイとキサへ向かっていくが、カムイとカノクの牙で凌ぐ。
『ヨル!ユイとキサだよ!なんでこんなことするの?』
『人間…汚い…うるさい…ウルサイ!!』
俺は「黒いもの」の声を思い出た。憎しみや怒りの声だったな…それを毎日聞かされているのかヨル…
「カノク、もうヨルを楽にしてやらないか?」
『嫌だ!』俺からカムイを奪う。
カノクを傷つけてしまいそうで、簡単に奪われてしまった。
今度は俺とユイ、キサを黒い髪が捕らえる。
『アト!』
『ヨル…なんで…』
カムイがカノクの言葉に反応している。
カッと強い光が辺りを照らした。
『カノク』
クアの声だ。眩しさで目が開けられない。
『誰?でも知ってるような…』
『私はクア。この短剣に宿ってるの。「浄化の女神」とも呼ばれているわ。』
『ヨルを消すの?』
『違う。ヨルはあなたから生まれたのよ、忘れた?』
『えっ?』
『慕ってくれる人間のために、海を守る者をカノクが作ったのよ?
ヨルは力を失いかけているわ。カノクに戻して休ませてあげないと。』
『ヨルは消えないよね?』
『もちろん。カノクの力を私に込めて、ヨルに近づけて。
やれるわね?カノク。』
『うん!ねえ、また会える?』
『私はアトと一緒よ。また会えるわ。』
クア…
目を開けると、大きく雄々しい獅子が、カムイを咥えて立っていた。
『アト、クア様を借りるね。』
頷くと、青く光ってヨルに近づいていく。
俺の横を、開放されたユイとキサが、ヨルに向かって走って行った。
「ヨルちゃん!」
「ヨル!」
苦しそうなヨルを2人が抱きしめた。
「ヨルちゃん、覚えてる?あたしが小さい時、海で溺れているのを助けてくれたよ。ありがとう。」
「海で大怪我した時に治してくれた。転覆しそうになった船を、浜辺まで送ってくれた。ありがとう。」
恐怖より感謝の心が勝(まさ)ったのか。ヨルの震えがなくなった。
『ユイ…キサ…』
「忘れないよ。ヨルちゃんのこと。」
「後世にも伝えていくから、また戻って来てくれ。な?ぐすっ」
『我のなかで眠れ。また会おう、ヨル。』
『うん…うんカノク。』
カムイで清められたヨルが、カノクの青い角(つの)に変わっていった。
『アト、これ。』
カノクからクアの記憶を受け取る。辺りが白くなった。
『クア様!』
カノクが白い花の野原を駆けていく。
「カノク。」
満面の笑みで、カノクを抱きしめた。
『大神から、土地の守護を頼まれたの。我にできるかな…不安。』
心地よい風がさっと白い花をなぜていく。クアの姿を久しぶりに見た。
これは…クアの記憶。
「大丈夫、カノクならできるわ。加護を授けていい?…私のは…いらない…かな。」
『いる!クア様の加護!』
嬉しそうに尾を振るカノク。カノクの角に口付けると、白い角が青く輝く。
『やったー!クア様の加護もらったー!ニコー見て見てー』また駆けていく。
「ふふ。カノクがいなくなると…寂しいな…」
クア…君に早く会いたい。待っていてくれ、俺は必ず…
気が着くと、晴れた浜辺で座り込んでいた。なぜか膝の上で眠っている、
小さくなったカノクがいた。
『嬉しそうに見せに来た、カノクを思い出したよ。』
「この広い海と土地と、カノの人々を守って、そして愛されている。大した聖獣だ。」
ユイとキサが笑顔で歩いてくる。
「アト、ありがとう。これでまたヨルに会えるよ」
「俺は…何もできなかった。」
呆れたように、ユイが腰に手をあてて言った。
「何言ってんの!アトがカノに来なかったら、すっとあのままだったのよ?」
「よしっ!今日は浜辺でバーベキューだ!街の皆に声をかけてくる!」
『バーベキュー?!』
勢いよくカノクが起き上がる。太ももの上で立つな…地味に痛い。
「カノクも行くか?」
嬉しそうにキサと、街へ駆けて行く。
その日、浜辺が祭りのように賑やかになり、海の復活を祝った。
「カノク。俺たちも、できるだけ海を守る。ヨルが安心して戻ってこれるように。」
「ゴミ拾いとかなら、ボクらにもできるよ!」
ヨルを気長に、でも確かに、戻ってくるのを願って、街の人たちが誓いを立てた。
満天の星が輝いている。いい夜だ。
「ニコ、いいか?」
『うん。分かってるよ。』
まだ「黒いもの」の濃い気配がする方へ歩いていく。浜辺の端にある岩のような黒い石。カムイで真っ二つにした。
『これで、しばらくは安心だね。』
『アト、ニコ。もう行っちゃうの?』後ろにカノクが立っていた。
「このまま東へ向かう。ユイとキサに、世話になったと伝えてくれ。」
しゅんとしたカノクの頭を撫ぜる。クアは可愛い者に好かれるたちなのか…
『またカノに寄ってね?絶対だよ?』
「ああ。カノクとヨルに会いに行く。」
『またね。カノク!ヨル!』
少し離れた場所から、ユイとキサの声が聞こえた。
「おーい!また来いよーアト!ニコ!」
「カバンに日持ちする物を、いろいろ入れといたからー!またねー」
いつの間にか集まってきたカノの街の人々に手を振られ、俺たちは東を目指してカノを発った。
完
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