其の一

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其の一

 頭が霞がかっている。  意識もハッキリとしない。  いつから?  わからない。  声が聞こえる気がする。  ”永遠の時間”?  そんなものは存在しない。  ああ。いつからこんな事をしているのだったかな。随分と長い時間が流れた気もするが、たいした時間でもない気がする。  なぜこんな事になったのか。  あぁそうだ。  願いを願って、願いが叶ったが為に願いは叶わなくなったんだ――。  其の一  捩花歪(ねじばなゆがみ)。  これだけを聞いて誰が人の名前だと理解できるだろうか。  市内の中学に通う中学二年生の捩花歪。彼女は名前の通りの性格に育ってしまった。容姿はそれほど悪くはない。しかし性格が壊滅的だ。全てが名前の通りに歪んでいると言っても過言ではない。  彼女は全てに嫌気がさしていた。たかが十三年ほどしか生きていない人間が何をそんなに嫌になる事があるというのだろうか。きっと人間という生き物は何年生きていようが、その歳相応の悩みがあるのだろう。それは他人には理解できない本人にしかわからない悩みだ。 「……つまらない」  下校中にぽつりとそんな事を言う。誰に言う訳でもない。息をするように、ただ生きるかのように自然と口から漏れていた。 「つまらないつまらない」  口に出さずにはいられないといった感じだ。それほどまでに彼女は本気でそう思っている。  しかし下校中と言ってもまだ時間はお昼だ。つまりは早退。しかも無断早退だった。おそらく家に返れば学校から連絡があって、親がそれを聞いて謝って、のちにその怒りは自分へと返ってくるのだろう。それは自業自得というやつだ。彼女はそうなるとわかったうえで早退をした。  だったら事前に言えば早退をさせてもらえたか? 答えは否だ。体調が悪い訳でもないのに早退など出来る訳がない。そこに彼女はまたイラついた。  なんでもかんでも理由を求められる。すべての行動にだ。それがとてつもなく嫌だった。理由がないと行動をしてはならないのか。そんなに理由が大切か。何もあてもなく動くことすらままならない。家から出かけるときにすら行先を聞かれる。理由は心配だから。それはそっちの都合で自分の都合ではない。  生きにくい世の中だ。すべてに制限がかかる世の中から抜け出したい。でもそれは叶わないと分かっている。唯一方法があるのはあるがそれは抜け出すという言葉は似合わないのかもしれない。 「人生つまらない」  だから彼女は生きることさえもつまらいと本気で思っている。  毎日を何も考えず生きているだけ。ただ生きているだけ。何もない。何も起きない。楽しいはずがない。そう思い生きている。思ってしまえばそれは現実になってしまう。ようは気持ちの持ちようで彼女の年齢ならば誰もが一度は思っているだろう。くそったれな世の中だと。  そしてそれは一つの結論へとたどり着く。 「よし死のう」  彼女は自殺を決意している。それが抜け出す、とは少し違うが最善の選択肢だと思っている。最悪が最善。矛盾しているがそんなものはどうでもいいし興味がない。今まで何かに興味を持ったことはないし、これから先も持てそうな気がしなかった。  まだ人生これからだというのに完全に彼女は諦めている。  しかしながら問題はどうやって死ぬかだ。それが今、彼女にとって考えるべきこと。決して生きる意味を考えたりはしない。  結論は出ない。  それが答えだとわかっているから。 「うーん。首吊り? 飛び降り? 痛いのは嫌だなぁ」  歩きながらブツブツと独り言をいう。その姿は周囲から見れば異質に見えるだろう。しかしそんな事はどうでもいい。周りからどう見られようが気にはしない。言わせておけばいい。  そして彼女は実際に異質なのだ。それは彼女にはある感情が欠落している。  それは寂しいと感じる感情だ。  独りでいることが寂しいとは思わない。むしろ楽だと思っている。そしてそれに連動するかの様に、誰かを心配するという事もなくなっていった。 自分が寂しさを知らない限り、誰かを心配するなどという事はないのだ。この二つは連動している。  この感情がないことは彼女にとっては好都合だ。彼女はその様な感情など不要だと思っている。そんな感情があれば確実に振り回される事がわかっている。それはつまり他人の為に自分を犠牲にする事になってしまう。そんな事は虫唾が走る。  ――どうにかして楽な死に方ないかな。あー、どうせ死ぬなら最後に良いことでもするか? 臓器提供とかいいんじゃないか? せっかくだし、あたしの身体を分けてやるって言うのも悪くないか。いやでも、それを考えたら死に方が制限されてしまう。他人と簡単に臓器を変換できたら楽だけど、そんなのないし……やっぱ却下だな。他人の為に何かするなんて虫唾が走る。  そんな事を考えていると「おーい。ゆっがっみー」と言う声がした。  彼女が声のする方向を見ると一人の少年が走って来た。 「ちっ」  と彼女は舌打ちをして言う。見なければ良かったと後悔の念が押し寄せてくる。なぜ反応してしまったのだろうか。それは決まっている。知らない声には反応など決してしない。つまり知っている声だったから振り返ったのだ。 「なんだ。お前かよ。まじファック」  彼女はまたすぐに前を見て、何も見なかったかのように歩き出した。出来る事ならかかわりたくない。そんな彼女を見て彼は急いで前に回り込んだ。  そして彼は彼女の前で足を止めると目を瞑り、何やら真面目な表情をした。 「うん。まず突っ込むべきところが二つだね。じゃあ一つ目」 そして目を見開き、まくし立てる様に叫ぶ。 「なんで舌打ちするのっ! おかしくない? いくら僕だって傷つくんだよっ? 二つ目。なんだお前かよってひどすぎない? だいたいまじファックとか女の子の言葉使いじゃないよねっ? 歪は見た目はいいんだから、もう少し言葉使いを可愛くすればいいのに」 「……」  しばし沈黙。彼女は無表情だった。そして歩きだす。彼はしばし呆然とし「シカトかーっ」と嘆いている。 「君、うざいよ? 知ってる? うざいよ? 重要な事なので二回言いました」 「やめてっ」  涙目になりながら懇願した。なぜこうまで拒否をされるのだろうか。心当たりはまったくないが、彼にはそれが本心でないことがわかっている。ただそう思いたいだけなのかもしれないが。  二人はそんなやりとりをしながら歩いて行く。  彼は彼女の幼馴染みで名前を爽真直道という。性格は彼女とは正反対で、真っ直ぐで爽やかな少年だ。 「何か用?」  わざわざ自分を追いかけて来た事が理解できないようだった。  その問いに彼は、さも当たり前のように笑顔で答える。 「いや別に用はないけど、姿が見えたから一緒に帰ろうと思って」  ちなみに彼は、しっかりと早退の届けを出している。彼は彼女の唯一の友達と言ってもいいだろう。少なくとも彼はそう思っているが。  しかし彼女はそんな幼馴染みすら顔見知り程度の認識なのである。ただ顔を知っているだけの存在。彼がそれを知ればどんなに嘆くだろうか。 「君はあたしのストーカー? そんなにあたしが好きなの?」  彼女は彼を見ないで言う。彼も彼女を見ないで言う。 「好きだよ? だからさー、十八歳になったら結婚しようね」  それを聞いた彼女は足を止めて彼を見た。本気で言っているのか冗談なのかを見極めているのだ。しかしそんな顔を見ただけで考えている事がわかったら何も苦労はしない。だから適当な答えを返すことにする。 「それまで生きてたらね」  そう言って再び歩きだした。  ――あーあ、十八歳になったら結婚か。ならそれまでには確実に死なないとなぁ。まぁもうすぐ死ぬんだけど。  これは死に急がないといけないと決意をさらに固めた。あと五年。それで自分の人生を交換しなければならない。そんな事は絶対にしたくはなかった。  ――あたしの人生はあたしだけのものだ。誰にも奪わせやしない。  彼は呆れた様に溜息をつく。 「相変わらずだなー。小さい頃から何度も言ってるのに」  そう言われたらこう反論するしかない。 「それを言うならあたしだって何度も答えを言ってるけど」  それは彼もわかっている。それでも「確認したいんだよ。答えが変わってないか」というのが彼の意見だ。 「無理! キモイ! まじファック! って言えばいいの?」  彼はショックのあまり少し間をあけて真面目な想いを口にする。 「……ただ『はい』って聞きたいだけ」 「ふーん」  それっきり会話はなくなった。別に話すことは何もないし彼が勝手に着いてきているだけだから彼女は何も気にしなかった。  そして今まで黙っていた彼が静寂に包まれる深い森の様に静かに口を開く。 「歪はさ、”永遠の時間を過ごしたい”とは思わないの?」 「思うわけない」  彼女は即答で答えを返した。何を言っているかと内心呆れるばかりだ。  ――くだらない。実にくだらない。何が“永遠の時間”だ。  むしろ彼女は今すぐにでも死にたいのだ。そんなこと思うはずがない。それでも彼は「僕と”永遠の時間を過ごそう”よ」と言ってくる。あまりにしつこいので彼女は頬をリスのように膨らませながら言い返す。 「君、漫画の読みすぎじゃないの? むしろ漫画ですらそんな永遠なんてないよ」  彼は永遠にという言葉が好きなのだろう。しきりにその言葉を彼女に言ってくる。  それでも彼女は何回でもそれを否定するだろう。この世に永遠なんてものは存在しないと信じている。そんな彼女に彼は「永遠は存在する」とハッキリ告げた。 「その根拠は?」  あまりにしつこいので理由を聞いてみた。  彼は迷うことなく「知っているから」と答えた。そんな答えで彼女は納得などしないだろうが、ここでまた否定すると話が広がってしまうので「ふーん」と答えておいた。これ以上会話をしたくない。意見の食い違いは平行線のままだ。決して交わる事はないだろう。  なぜ彼が永遠にこだわるのかは分からないし知らないし分かろうとも知ろうともしない。  ――どうでもいい。  そう思っている。仮に永遠が存在したからといって何かが変わるわけがない。それはあくまで自分の外側の世界だ。自分には関係ない。  それが彼女の答えだろう。  彼女は閉ざした。それから再び何も会話はないまま進んでいく。 「じゃ、僕こっちだからまたね」  彼はそう言い彼女に手を振る。彼女は何も言わずに視線を向けるだけ。  しかし彼は、それが彼女の挨拶だと分かっているので何も言わずにその場を離れた。 「まったく……先が思いやられるなぁ」  そんなネガティブな発言をしているのに彼の表情はたまらなく楽しそうだった。何がそんなに楽しいのだろうか。 「楽しいに決まっている。歪と会話が出来たんだから」  そんな些細な事でも彼はしっかりと幸せを感じる事ができている。少しの事でもしっかりとその感情を受け入れている。自分を受け入れることは大切な事だと彼は考える。存在してからずっと何が起こっても自分が自分であることは変わりがない。否定をしても何も面白くないし、他人には受け入れられなくても、せめて自分だけは自分を受け入れてやらなければ可哀想だ。 「世の中の出来事は全てにおいて受け入れるべきだ」  たとえそれが非現実的な事であってもだ。彼は博愛主義者なのかもしれない。すべては愛で繋がっている。彼女がそれを聞けばきっと嫌な顔をするだろう。そしてその顔を見たいとも思う。世の中はこんなにも満ち足りている。それを彼女にも教えたい。  世の中はそんなに捨てたもんじゃないと伝えたい。そしてそれが出来るのは自分だけだと思っているし、実際にその通りだとも思う。自意識過剰かもしれないが、それでもいい。彼女を笑わせる事が出来るならばなんと言われようが我慢ができる。 「まぁそれが一番の難題なのは間違いがないな」  困難が待っている方が人生は面白いと誰かが言った。未来は見えないからこそ素晴らしい。彼はまだ見ぬ彼女との未来を見据えて笑った。  一方彼女の方は何事もなかったかの様に歩く。今までずっと一人で歩いてきた。誰とも遭遇しなかったと言わんばかりだ。彼との事はすでに忘れている。今まで隣に誰もいなかったかの様に。それでも彼女は彼の存在を忘れはしないだろう。  そんな時だった。下を向きながら歩いていると音がした。  コトン。 「ん?」  彼女は足を止めた。その音は耳で聞いたのではなく直接頭に響いた様な気がしたからだ。  キョロキョロと辺りを見渡す。が誰もいない。彼女は一歩、足を引き後ろを振り返ろうとした時だった。  何かが――カカトに当たった。  それは桐箱だった。  ――ありえない。  彼女はそう思った。 「あたしは下を向きながら歩いていたんだぞ? なぜ、あたしより後ろにあるんだ?」  矛盾。歩いている方向……つまり、つま先部分に桐箱があるならわかる。しかし、桐箱があるのはカカト部分。理屈が合わない。自分より後ろにあるという事は、桐箱をまたぐしかない。  しかし彼女には、またいだ記憶などない。それもそのはずで下を向き歩いていたのだから。本来ならつま先に当たるはずの桐箱。それが自分の後ろにある事実。  ――どういう事だ? 誰かがおいた? いや、人はいなかった。じゃあ何だ? 上から降ってきた? それにしては音も大きくなかったし、桐箱が綺麗すぎる。  彼女は上を見たり左右を見渡したりして必死に頭を巡らせる。しかし考えても答えは見つからなかった。そして次に彼女がとった行動とは。 「何か書いてあるな」  彼女はその桐箱を手にとったのだ。その桐箱にはこう書かれていた。 「死神の……尾?」  桐箱に相応しい綺麗な字だった。死神の尾。そう書かれていた。 「死神の尾ねぇ……」  ――あたしの知る死神には尾なんて生えてないけどなぁ。  彼女が知る死神とは、誰もが連想する者と同じである。黒いローブに身を包み、その姿は人の形をした骸骨。誰も尾など誰もあるなどとは考えない。 「あたしが知らないだけか? いや、それはないか」  そして彼女はゆっくりと桐箱の蓋を開けた。開けてしまったのだ。そこから全ては狂い始めることも知らずに――。  そこに入っていたのは真っ白な骨だった。 「骨……だなぁ」  小さい骨が連結している尾の骨だった。何かの骨なのは間違いがなさそうだ。しかしなんの骨かはわからない。そんな骨を見ただけでなんの骨かわかる知識は彼女にはなかった。彼女はマジマジと観察をする。そして桐箱の蓋の裏に文字を見つけた。 「願えば……叶う」  願えば叶う。そう書かれていた。  ――ハッ。笑わせる。なんだこれは? まるで猿の手じゃないか。  猿の手はあまりにも有名だ。それこそ知らない者でも知っている。ある短編小説に出てくる物だ。どんな願いでも三つだけ叶えてくれる。しかしそれは意にそぐわぬ形で。金がほしいと願えば、大切な家族が死んで保険金が手に入るとか、そういう類の物だ。  簡単に言えば、何かを得るには何かを捨てなければならない。これほど合う言葉は他にはないだろう。普通ならば、その様なおぞましい物はあってはならないし、見つけても手にしてはいけない。  しかし彼女は――捩花歪は、笑った。 「はははっ。いいじゃないか。いいじゃないか。どうしてこんな物がここにあるかなどどうでもいい。なぜ今あたしの手の内にあるかなどどうでもいい。誰かが仕向けたとしてもどうでもいい。その手の上で踊ってやるよ」  ――あたしは死ぬ気だったんだぞ? 周りがどうなろうが知った事じゃない。家族が死ぬかもしれない? どうでもいい。最後にあたしを楽しませてくれるなら、世界が滅んでも構わない。死神の尾。さぁ、あたしを楽しませておくれ。これが人生最後の余興だ。
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