其の三

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其の三

   翌日、彼女が起きてまず一番初めにしたことは死神の尾があるかどうかの確認だった。まさか夢オチだとかいう事はないとは思っていたが、死神の尾を確認して安堵の溜息をついた。 「ふぅ」  これは現実だ。紛れもない現実で起こっている事象だ。それが嬉しくもあり悲しくもある気がする。しかしあくまでそれは気がするだけだ。彼女にはそんな感情はないに等しい。  今日も一日が始まる。何かがあるようでない一日が始まって終わって行く。こんな毎日の繰り返しでどうして自分以外の人間はつまらないと感じないのだろうと彼女は常によく思う。  ――あたしにはわからない楽しさを感じているんだろう。  それは理解できない感情だしする気もない。でも少し羨ましいとは思うかもしれない。もし自分にそんな感情があれば、ここまで卑屈になっていなかったかもしれない。そして、そんな明るく元気で毎日を全身全霊で生き抜いている自分を想像して笑う。 「ハッ、ゾッとするな」  今のままで十分満足だ。  ――いや、満足していないから死にたいのか。  世の中は矛盾が広がっている。 「まぁそれも一興だな」  それから彼女は学校へ行く準備をして家を出た。登校中にまたあいつが現れないかと彼女は少し心配だったが、その心配は杞憂に終わった。自分の遥か前方で彼が楽しそうに談笑しながら歩いていたのだ。  ――何がそんなに楽しいのやら。  彼を取り巻くのは三人の女子。彼は明るく爽やかなのでそれなりに人気がある。  ――あいつの何がいいんだか。  理解ができない。小さな頃から知っているので見慣れているし、確かに見た目は良い方なのだろうが彼女にはその良さがわからなかった。理由は至って単純で自分と性格が正反対だからだ。彼が黒と言えば彼女は白と言い、彼が金と言えば彼女は銀と言う。まったく噛みあわない。だから彼女は彼とはかかわりたくないが、それがそうもいかなかった。親同士が同級生で仲が良い為に、その子供同士はよく引き合わされた。  だから逃げるに逃げられなかった。 「あいつがどうしてあたしにこだわるのかがわからないな……」  彼は彼女にずっとアピールをしてくる。最初に言われたのは記憶が出来上がる前だったのかもしれない。最初がどこだか彼女はわからないのだ。もの心が付く前にそれは出来あがっていたのだろう。  なるべく、というか絶対にかかわりたくがない。かかわれば面倒なことに巻き込まれるのは目に見えているからだ。人気がある男子から好意寄せられているとわかったら、それは嫉妬の嵐が彼女を襲うだろう。仮にそうなったとしても彼女の心は何も感じないだろうが、いちいち相手にするのが面倒だ。  学校に着いて彼女は自分の席に座る。特に何をする訳でもなく、手に顎を乗せてボーっとする。授業が始まろうが彼女の態度はかわらない。授業中にあてられてもわかりませんの一言で押し通す。それがいつもの彼女だ。  そしてどんどんとくだらない時間は過ぎて行った。  お昼になり購買でパンを買って来てほそぼそと口に運ぶ。いつもと同じ味に同じ触感。食に興味がない彼女はいつも同じ物を口にする。 「ふぅ」  彼女が今現在考える事柄は一つしかない。それは言うまでもなく死神の尾の事だ。  ――どうしたもんかなぁ。  正直にいってどうすればいいのかがまったく分からない。使い方もわからなければ問題の答えもわからない。仮に答えがわかったとしても、どこに発表すればいいのかがわからない。  ――八方塞、だな。  このまま何もしないという手もあるにはあるが、これを人生最後の余興として楽しむと決めたのだ。何かしらが起こって、自分を楽しませてもらわなければいけない。そんな事を考えていると声がした。 「ゆっがみ」  彼女はじとりと爽真直道に視線を向ける。その視線から読み取れるのは、どうしてわざわざここに来るんだ馬鹿、という視線だった。 「あっ、またピザパン? もっと他のも食べなよ」 「……必要ない」  速くどっかに行けと彼女は念じるが、その願いは叶いそうにない。彼は彼女の近くに椅子を持って来て腰を下ろしたのだ。  ――何考えてんだこいつ。  あからさまに不機嫌な表情をした。しかし彼はそんな事は慣れっこだと言わんばかりにスルーした。そして彼女と同じ机を使って弁当を食べ始めた。 「……何、やってんの?」  当然の質問だ。 「え? ご飯食べようと思って」  それも当然の答えだ。 「なんでここで食べるの?」 「え? 歪と一緒に食べようと思って」 「なぜ?」 「え? なぜって好――」  と、まで言いかけて彼女は彼の口を鷲掴みにした。  ――何考えてんだこの馬鹿っ。  その先を言ったら確実に面倒な事が起きる。なんせクラスの視線が自分たちに集まっているからだ。これは最悪の状況だった。 「お願いだから、どっか行って」 「えー? なんで?」  事の重大さがまるでかわっていない彼に彼女はイラついた。  ――これだからこいつは。 「君はもっと自分が周りにどう思われているか把握した方がいい。それにあたしにかかわらないでって何度も言ってるでしょ」 「別に周りを気にする必要ないと思うけど。そんな事言われても無理だよ」  いつも何を言っても聞かない。本当にイライラする。昔からだ。いつもいつもそばに寄って来ては自分の都合でそこに居座る。拒否をしてもそこに居続ける。そこまでしてこだわる理由はなんだと考えるのすら馬鹿馬鹿しい。答えなら知っている。  またそれを平気で口にするのが嫌だった。何度も言われれば聞きなれて嬉しさもへったくれもあったもんじゃない。だからもう何も言うまい。  ――くだらない。  彼女はそれ以上何も喋らなかった。彼もまた何も喋らなかった。お互いが目の前にいるのに会話はしない。それは傍から見たら変な光景だろう。一緒にいる意味があるのかと思うだろう。  ――早くこの時間が終わってしまえばいい。  そしてお互いに昼食を終えて一息ついた時。 「ちょっとトイレ」  ――いちいち言うな。もうそのまま帰ってこなくていいしまじファック。  彼は立ち上がり教室を出て行った。そしてその瞬間を待っていたかのように一人の女子生徒が彼女の机の前に立った。  なんとなく予感はあった。だから彼女は驚く事も視線を向ける事はしなかった。 「ちょっと、捩花さん」  彼女の前に仁王立ちをして眉間にシワを寄せているのは同じクラスの上尾愛という生徒だった。 「ちょっと、捩花さん」  反応がない為に同じ言葉を言う。聞こえてないはずがない。にもかかわらずこちらを向かないという事は完全に無視をしている。上尾はそれがわかっている。だからこちらを向くまで待つ。  ――しつこいなぁ。  このままではラチが明かないので彼女はようやく視線と言葉を向けた。 「なに?」  言われることはわかっている。くだらないことだ。 「あなた、爽真君のなんなのよ」  ――なんなの?  なんなのと言われても彼女も困る。だから正直に答える。 「さぁ? 知らないよ。本人に聞けばいいんじゃない?」  だからそう言われて上尾はイラつく。 「爽真君に近づくのやめてくれる?」  ――あたしから近づいているわけじゃないんだけど。  上尾は彼に好意を寄せている。そしてその彼が彼女と仲良くしているのが気に喰わない。 「くだらない」 「なんですって?」 「くだらないと言った。好きなら好きって言えばいいんじゃない? 八つ当たりされても困るんだけど」  上尾はぎゅっと拳に力を入れた。  ――あっ、殴られるかな?  それだけの事を言ったし、それがまた図星だから怒りの沸点など簡単に超えるだろう。しかしさすがに殴るという事はしなかった。  ――助かった。 「あんたみたいな根暗な奴に爽真君は相応しくない」 「君みたいに言う相手を選んで間違えて八つ当たりしてくる人に言われたくない」 「このっ――」 「くだらない。本当にくだらない。君たちは君たちで勝手にやってればいい。あたしをそこに巻き込まないでほしい」 「あんたが割り込んでくるのがいけないんでしょっ!」 「割り込んだ? 勝手にそう思ってるだけでしょ? そういう感情なんていうか知ってる? ヒガミって言うんだよ」  その言葉に上尾の右手が素早く動いた。我慢の限界だったのだろう。  ――おっと。  しかしその手は空をきった。彼女は態勢変えてそれをやり過ごした。目の前を上尾の手が横切って行った。さすがに本当に殴られそうになるとは思わなかったので彼女は二撃目が来る前に椅子から立ち上がった。  それを見て上尾は自分がしてしまった事に気が付いて周りを見渡す。そこには教師の姿はなかったがクラスにいる生徒全員がこちらを見ていた。途端に頭が冴えていく。 「あんたなんかに――、絶対渡さない」 「別にいらないし」  むしろ消えてくれた方が嬉しいとさえ彼女は思った。いっそのことこの二人が付き合ってしまえば彼のストーカー行為は終わるかもしれないと思えば、なんだか応援をしたくなってきた。しかし、彼女は上尾の事が嫌いだ。自分にかかわってくるすべてが嫌いだ。  立ち尽くす二人に声をかける生徒が一人。 「どしたの?」  言うまでもなく彼、爽真直道だ。 「別に」  彼女は興味なく答える。そして鞄を手に取る。 「何してんの歪」 「帰るんだよ。くだらなすぎて頭痛くなってきたし」 「何言ってんだよ。昨日も早退したじゃないか」 「連続で早退したら悪いとかいうルールはないでしょ」 「揚げ足とんないでよ。それに帰るなら先生に言ってから。それにちょっと待って。撲も帰るから」 「ついて来ないで。それにそこの人が君に話があるみたいだよ」  彼女はそう言って指をさす。当然その指の先にいるのは上尾だ。彼に視線を向けられて上尾は下を向いてしまった。 「それじゃ」 「ちょっ、ちょっと歪っ」  彼の言葉にも振り返らないで彼女はそそくさと教室を出て行った。もちろん教師に早退の旨を伝える事などする訳がない。どうせダメだと言われるのはわかりきっているし、そんな事をしていたら帰れなくなってしまう。 「本当くだらない。恋愛してないと生きていけないのか」  そんな感情は不要だ。邪魔になるだけだと彼女は思う。今まで誰も好きになった事はないし、これからもそういった相手は現れないだろうと真面目に思う。こんな自分が誰かを好きになる? 考えただけで虫唾が走りそうだった。  何も考えずに帰路につくが、どうしても上尾の事を考えてしまう。それは彼女が冷静な見た目とは裏腹に怒っているからだろう。  ――ああ、ムカつく。  その想いは上尾だけではない。彼にも向いている。こうなる事が予想できて、結果その通りになった。しかし彼はその事に気が付かないし、また同じような事が起こってしまうだろう。そう考えるとまた同じことを繰り返すのかと腹が立って仕方がない。 「くそ、ファック。まじファックだわ。いなくなってほしい。あの二人なんて死んでしまえばいいのに」  真面目にそう願った。  翌日、上尾愛が交通事故に遭い、亡くなった。
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