バースデーケーキ

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 2020年11月6日 午後7時8分  やっぱり、雨が降っている。静寂に包まれ、雨音がいやに耳に付く。11月の寒さも相まって、下宿に戻る頃には底冷えで、死体を想起させた。  ミシミシと、今にも外れてしまいそうな音を立てて、赤く錆びた階段を上り、アパートの三階へと向かう。自室の前に立ち、冷たい鉄のドアノブを握る。だが、力が入らない。    開けたくない。怖いから。    この光景も、一体何度見ただろうか。  一周目は、四畳半を真っ赤に染めて、まきちゃんが倒れていた。開けた瞬間に襲いかかってきた恋人の血の臭いは、二度と忘れられない。用意してくれたバースデーケーキも、ぐちゃぐちゃに崩壊し、赤く濁っていた。  二周目は、誰もいなかった。入った瞬間、背後から何者かが僕をめった刺しにした。畳に倒れ、血がどろどろとあふれ出る感覚。肺に血が溜まり、息が苦しくなる感覚。次第に体が寒くなっていく感覚。最後の「オマエのせいだ」という、男の、生々しい獣のような声。あの男が、一周目世界でまきちゃんを殺したのだろうか。  それから幾度となく繰り返した。  何回も。  何回も。  何回も何回も。  何回も何回も何回も何回も。  何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も。  すべて、彼女が死ぬか、僕が死ぬか。  冷えた肺から、微かなため息を出すと、白い蒸気が空に旅立つ。  握力が全く入らないほどに、僕は精神も肉体も疲労していた。    もう、限界だ。  ドアノブから手を離し、柵にもたれる。  柵がミシッと音を立てた。根元から鈍い音を立てて曲がり、折れる。踏ん張れなかった僕の体も傾いて、頭が逆さになり、全身の毛穴から汗がにじむ。  ああ……またもう一周か。もういやだ――  「……くん!!!」  叫び声が聞こえた。目が合った。まきちゃんが死に物狂いでこちらに向かってくる。バースデーケーキは右手から放たれ、地面に落ちる。  くそ、なんだっていうんだよ。  重力に従い落ちる僕の体。下にこぼれているはずの涙が、天に昇っていくようだった。  
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