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<1・婚約者>
そういえば昔は、保育士や学校の先生になりたいと思ったこともあったんだっけな。海老沢一夏は庭で飼い犬のメーテルを遊ばせながら、通りをぼんやりと眺めていた。どうやら近くに保育園か何かがあるらしい。保育士らしき女性が、二人の子供と手を繋いで散歩させていた。その前には、他にも二人ばかり小さな男の子と女の子がいる。一人の子供を見るだけでも苦労するなんて、四人も一人で見ていなければいけないなんて大変だな。一夏はどこか、他人事のように考えていた。
子供は好きだ。昔から年下の子の面倒を見るのが好きで、親戚で集まりがあった時もよく世話を任されていたものである。中学生までは、将来はそういった年下や小さな子供たちの面倒を見る仕事はしたいと本気で思っていた。その職を結局目指さなかったのは、ひとえに別にやりたいことができてしまったからに他ならない。
――いい加減、この土地にも慣れないとなー。
黒柴のメーテルは、引っ越してきたばかりのこの土地にもすっかり馴染んだらしい。小さな庭でもお構いなくぐるぐると走り回っている。ちなみに、メーテルという名前だが性別はオス。こいつはおやつをくれて散歩をさせてくれる人間がいれば何処に行ってもやっていけるタイプだった。まあ、夫の都合でこの場所に引っ越さざるをえなくなった身としては、新しい土地でもストレスをためこまないでいてくれるだけ有りがたいと言えば有りがたいが。
どちらかというと問題は一夏の方である。自分でもコミュニケーション能力が高い方ではないという自覚があるのだ。子供がいないので、“親”としてママ友を作っていく必要はないが、それでもご近所とうまくやっていくスキルは重要だろう。昔ながらの友人は一人すぐ近くに住んでいるが、他のご近所さんとも上手に付き合っていかなければいけない。一応引っ越し初日に菓子折りを持って周囲の家は回ったが、果たしてそれでどこまで印象を上げることができたかどうか。
ついでに、一夏の趣味のこともある。引っ越してきてまだ二週間。バタバタしていたのもあり、土地に不慣れなこともまり、未だにちょうど良い場所を見つけられずにいるのだった。そろそろなんとかしないと、体がなまってしまいそうである。
――スポーツジム、徒歩で通えるところがあるといいんだけど。いちいち電車乗って行くのもヤだし。
海老沢一夏。
あまり無い苗字なので、もしかして知っている人間もいるかもしれない。
大学時代まで柔道をやっていた柔道人間。全国では一応、三位まで行ったことがある。
大学を卒業してからは時々道場に通いつつ、時間さえあればスポーツジムに入り浸り続けていた。ようするに、体を鍛えるのが大好きな筋トレバカというわけである。――自分で言うのもアレだが、未だに服の下は結構なマッチョだったりしている。なんといっても、筋肉は努力を裏切らないのが素晴らしい。
――ああああトレーニングしたいトレーニングしたい!ストレスやっばい!!やっばいよー!
結構いい年の三十代?それがどうだというのだ。一夏はボールをくわえて戻ってきたメーテルに、ジト目で問いかける。
「ねえ、メーテル。あんたさ、あたしのトレーニング相手になってくんない?散歩の時のリードの引っ張り具合からしてさ、パワーはあるんでしょパワーは」
「まふ?」
遊んでくれると勘違いしたのか、犬はごろんと転がってお腹を向けてくる。野生のヤの字もない有様だ。ダメだこりゃ、としか言いようがなかった。
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