下町の料理人

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下町の料理人

 時は昭和のはじめ。 弓川弥次郎兵衛時宗は、日本橋浜町の料亭「花美川」に板前師の次男として 生まれた。  日本の良き時代だった昭和は都電を足に街は栄えた。 銀座の柳は道端に植えられた風情ある銀座は、歌にまで伝えられた全盛に だった。 彼は何不自由なく育てられていた。 親子三代目にあたるかれは祖父、彦三郎の先生が京懐石をはじめて東京に伝 えて、山川秀峰先生の一番弟子が彦三郎だった。  山川先生は、一番弟子の彦三郎に京懐石の料理のすべてを伝授した。 彦三郎はどちたかというと山師であった。当時、株で大儲けをhして、 お札を隠し切れないほど、儲かったこともあった。  彦三郎には子供はいなく次次郎という弟子を養子に迎え入れた。 次次郎は、職人肌であって、気は小さいが、仕事は肌理が細かく丁寧だっ た。料理人としての腕は彦三郎よりも優れていたが、やり手ではなかった。  その次次郎の長男はサラリーマンになってしまったために次男の時宗に お鉢がまわってきてしまった。  高校から料理の専門学校に入った。
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