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時間が過ぎるのは早いもので、時刻は22時。
結婚報告で一段と盛り上がった飲み会も一旦お開きとなった。
「晴、今日はさすがに実家に泊まるんだよねー?」
結構酔っ払っているであろう聡太が横揺れしながら聞いてきた。
「おう、今日は泊まって明日帰るよ。」
「それじゃあもう一軒いこーう!」
「私もいくー!」
拳を突き上げた聡太の真似をして杏も同じポーズを取りながら近づいてきた。
正直なところ、結婚報告を聞いてから心ここにあらず状態に陥った俺は、何を話したか覚えていなくて。
でもこの二人から向けられた笑顔を見ると、帰りたいとは言い出せず、小さく頷いた。
「じゃ!そうと決まったらさっさと行きましょ!みんなー!またねー!」
店の前でわちゃわちゃしていた残りの元部員たちに向けて大声で手を振った杏は、俺と聡太の腕を掴みずんずん歩きだした。
「え、そんなあっさり?もう少し挨拶とか」
「そんなことしてたらみんなで2次会行く流れになるでしょ!私は3人で行きたい。それに晴、これ以上は無理でしょ。」
杏はこれ以上有無を言わせないような表情でちらりとこちらを向いて、すぐに視線を前に戻した。
見透かされてる。
そう思うと言葉が出てこない。
いつも茶々を入れてくる聡太も、何を考えているかいまいち分からない穏やかな表情をしながら黙っていて、それがなんとなく気まずい。
そのまま誰も言葉を発することなく歩き続け、杏に引っ張られるまま2軒目のお店に入った。
小洒落た店内は落ち着いた雰囲気のバルで、先ほどとは違った静かな空気感に思わずほっと息を吐いた。
背の高いテーブルに通され席についてドリンクとおつまみを注文し終わって、やっと杏が口を開いた。
「晴、分かりやすすぎ。さすがの咲良も分かったんじゃない?」
「ほんとにねー。凪坊が彼氏で良かったよほんとに。」
2人の視線が一気に自分に向いて、笑うしかなかった。
「はは。そんなやばい顔してた?」
「やばいってもんじゃないわよ。無よ、無。」
「ちーんって効果音出てたよねー。晴は自分が思ってるよりなんでも顔に出てるよ。」
「まじかー。」
顔に出ていたとは、割とショックだ。
隠し通せていると思っていただけに、2人の言葉はショックが大きかった。
「ていうか、なんで告白しないの?咲良に想いぶつけないの?」
「うおー、さすがこしあん。ド直球!」
「聡太も気になってるんでしょ?」
「そりゃあねー。でも男心は複雑だしね。なんとも踏み込めないよー。」
「もういいでしょ?大人なんだし。」
2人のやり取りを聞いて、そこで初めて気を遣わせてしまっていたのだと知った。
咲良への想いは自分一人のもので、周りには迷惑かけていないと思って過ごしていた自分を、なんとも殴りたい気持ちになる。
虚しいような悔しいようなそんな気持ちに耐えられなくなって、運ばれてきたドリンクを一気に飲み干した。
聡太は"おおー!"と何故か感嘆の声をあげて、杏は驚いたように目を丸くする。
「上手く言葉にできるかわからないけど。」
ため息をつく。今までにない緊張感が押し寄せてきた。
「上手くなんて言わなくていいのよ。」
その言葉に背中を押されて誰にも打ち明けたことのない想いを乗せて、重い重い口を開いた。
「俺にとって咲良は物心ついた時からずっとそばにいる女の子で、ずっと特別だった。いや、今でもそれは変わらなくて、特別。」
二人の真剣な眼差しから逃げるように自分の手元を見つめる。
「たまたま家が近かったから、とか、ずっと同じ学校だったからとか、それだけじゃなくて。初めて会った時からずっと大事で大切で。」
震える指先を隠すようにぎゅっと拳を握る。
「俺にとってのそれが当たり前のようにさくらにとってもそうだといいなって。でもきっとそうじゃなくて。それでもそのことが受け入れられなくて、受け入れたくなくて。」
抽象的すぎる言葉の羅列。
いつまでも整理できていない気持ちは言葉になんてならなくて、もうやめたほうがいい、そう思うけど言葉が止まらなかった。
「咲良以外とか、そんな概念がないんだ。咲良にだけ、咲良の顔を見たら声を聞いたら、どうしようもなく苦しくなる。心臓を掴まれたような感覚になって、息ができなくなる。何気ない一言にも泣きたくなるくらい、涙腺も緩んできて、情けなくなる。」
熱いものが込み上げる。
目頭が熱くなって"やばい"と思った時にはテーブルに水滴が落ちていた。
「それなのに、告白する、勇気も。奪う、覚悟も、なくて。幸せを、祝福する、余裕も、気持ちも、ない。前に進んで、咲良を、咲良への気持ちを、思い出にしたくない。苦しくても、ずっと、この気持ちと、想いを持って、どうしようもなくても、それでもいい。」
とめどなく溢れ出す涙を抑える気にもなれず、口から勝手に想いが紡がれる。
自分じゃないような、いや、これが本当の自分なのかもしれないけれど。
「情けない、けど、想いを伝えて、離れてしまうことが、一番怖い。それなら、このままで、いい。苦しくても、この想いを、消化できなくても、それでも、たまに会えるのなら。咲良の、笑顔が、たまに見られるのなら、俺はそれで、いいんだ。」
途切れ途切れに溢れてくる言葉を吐き出して、ようやく流れっぱなしだった涙を拭った。
「愛してるんだ。これからも愛し続けたい、ずっと。」
初めて想いを言葉にして、自分の想いの強さを嫌でも再確認させられる。
一方的に紡いだ言葉。
相手にどう思われるかなんて考えずに、全て出し切ってしまって、少し視界が晴れた。
ぐしゃぐしゃの顔をおしぼりで抑えて、意を決して目線を上げた。
そこには自分と同じくぐしゃぐしゃの顔をした二人がいて。
「え、なんで泣いてんの。」
頭で考えるより先に思わず口から出た言葉。
「泣くでしょ!こんなの。こんなの聞いたら、泣くでしょ!」
杏はひくひく肩を震わせて泣いていた。
「ごめん、おれ、去年言ったこと、後悔してる。本当にごめん。」
聡太は何故か深々と頭を下げてきた。
軽く震えている肩を思わず掴む。
「いや、聡太に嫌なこと言われた覚えないから、顔あげろよ。」
「いや、言った、俺、晴の気持ちも考えずに、本当にごめん。」
頭を下げたままそう言った聡太の肩を軽く揺さぶると、ようやく顔を上げた。
「晴の、咲良ちゃんへの気持ちが、こんなに強いものだと思ってなかった。単純な失恋だって、そう思ってた。だからなんで、ずっとこの世の終わりのような、何も期待してないような顔なのか、わからなくて。さっさと前に進めばいいのにって。だから去年、前に進むしか道はないみたいなことを、言って、ごめん。」
聡太は大学四年生の夏なことを言っているのだろう。
涙でぐしゃぐしゃの2人を見ていると、有難いことにだんだんと落ち着いてきて、緩みきっていた涙腺が仕事をし始めた。
「いや、聡太は正論しか言っていないし、俺が聡太でもそう思う。それよりも、俺の方こそごめん。二人にずっと気を遣わせてたって、情けないけど今日初めて知った。」
「気なんて遣ってないわよ、好きな人の変化には気がつくもんでしょ?」
ハンカチで目を抑えた杏と目が合う。
言葉の本質が分からなくて?マークが飛ぶ。
「あ、別に私は晴とどうなりたいとか思ってないから!そこは勘違いしないで。こんな話聞いたら余計にそんなこと思えないしね。」
杏はにこっと笑顔を向けると平然と言いのけた。
聡太がいる手前、どう反応していいか困っていると、鼻をすすりながら聡太が軽く手をあげた。
「あ、俺、こしあんが晴に振られてること知ってるよ。」
「ちょっと!言い方!間違ってないけど!」
「え、まじか。ごめん。」
「ちょっと!晴も謝らないでよ!」
俺と聡太を怒りながら交互に見た杏は、でも、と続ける。
「そんなに誰かのことをずっと想えるのって、素敵ね。晴は辛くて苦しいだろうけど、こんなに大事に思われてる咲良は、幸せ者よ。」
この気持ちは、そんな風に言ってもらえるような綺麗なものじゃないと思っていた。
だから、杏の言葉に、隣の聡太の頷きに、咲良への気持ちを肯定されたことに胸が熱くなる。
「ありがとう。」
感極まりそうでぐっと喉に力を入れる。
しばしの沈黙が流れて、初めて店内のBGMが耳に入ってきた。
店員さんから新しいドリンクを勧められて、三人でドリンクメニューを眺めた。
新しいドリンクを注文し終わって、聡太が口を開いた。
「あの2人の結婚式さ、無理に出なくていいと思うなー。凪坊はかなり悲しむと思うけど、そこは自分の気持ちを尊重させてもいいんじゃない?」
「そうね、それはいいと思うわ。」
聡太の意見に杏が同調する。
正直なところ、結婚式は耐えられる自信がなかった。
だからその言葉に、すとんと引っかかっていたものが降りる。
「結婚式って一生の中で一番ってくらい大切な日だし、2人とも晴に来て欲しいってもちろん思ってると思うわ。でも仕事って断っても、今回はいいんじゃない?あの2人なら分かってくれるわよ。ショックはショックだろうけどね。でも、それはお互い様で、晴だってショック受けてるんだから。」
「凪坊も咲良ちゃんも、びっくりするほど良い人だから大丈夫だよ。咲良ちゃんに関しては、それは晴が一番わかってるだろうけどねー。」
「そうだな。さすがに、式は無理そうだ。申し訳ないけど、そうさせてもらおうと思う。」
二人は笑顔で頷いてくれた。
「泣いたら小腹空いたわ!何か頼みましょ!」
杏の言葉をきっかけに、これまでの重い空気が嘘のように変わり、そこからはたわいもない話をしてお開きになった。
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