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「これは、友達の友達に聞いた話なんすけどね」
オンライン画面の向こうで後輩が缶ビールを振る。
会社がリモートワークを取り入れて半年が経った。家で働くスタイルに慣れた社員たちは、オンラインを介した飲み会にも慣れてきていた。
今夜も、画面の向こうはにぎやかだ。
部長の誰それは人の心がないだとか、上司は人の手柄を自分のものにするとか、会社は人生になにも保証してくれないだとか、ひとしきり会社の悪口を肴に会話がはずんでいく。
夜は更け、いつの間にかオンラインチャットに映る社員は減っていた。酒に酔ってぼんやりとした視界に残ったのは幾人かの同僚と同じ部署に属する後輩だけだ。
「お前、子どもがうまれたばっかりなんだろ。いいのか」
時間を確認してビールを何本もあおる後輩に問いかけると、たまにはいいっしょ、とニカっと笑った。
人好きのする屈託のない笑顔だ。
これで、彼はいつも人に許されてしまう。
明るくて快活で、いいヤツなのだ。
そんなことより、おもしろい話があるんすよ、と後輩は続けた。
「これは、友達の友達に聞いた話なんすけどね」
オンライン画面の向こうで後輩が缶ビールを振る。
「なんだ、フォークロアか?」
「なんすかそれ」
「……都市伝説」
「あー。そう、そんな感じのやつっす」
酔った顔で後輩がうんうんとうなずいた。
「え、怖い話?こんな夜中にやめてくんないか」
画面の向こうで同僚の女性が眉をひそめた。
「怖い話苦手なんだけど」
「大して怖くないっすよ。どっちかというと不思議系?」
「変わらんやん」
女性が眉間に手を当てた。彼女は感情が表に出やすく、困ると癖なのか眉間に手を当てて頭を振る。
「なんかー、夢を見るんだそうですよ。赤い川から女が出てきて、誰かの名前を3回呼ぶ。そいで、呼ばれたやつは病気になるんだって」
「予言ぽいね」
「呪いじゃね?」
何人かが嫌な顔をするが、どこか楽しそうだ。
なんだかんだ言ってこの手の怖い話はみんな大好きだ。安全圏にいながらスリルを味わえるのは、退屈で単調な日々のちょっとした刺激としてちょうどいい。
「で、この話を聞いた人はこの夢を見るっつーのがオチっす」
てめえ、このやろ、と画面の向こうがざわつく。
後輩がガハハと豪快に笑う。
それからも、ひとしきり話はもりあがったが、時間も時間だ。そろそろ眠くなってきた面々が次々とオンライン画面上から消えていった。
自分もそろそろ落ちると伝えてカメラを切ると、後輩からメッセージが届いているのに気がついた。
──さっきの話なんすけど、自分、みちゃったんすよ。夢。ほんとに。
──名前、呼ばれてたの先輩でした。
──念のため、たぶん、なにもないと思うけど、病院とかいったほうがいいかもしれないっす。
その夜、夢を見た。
小川と呼んで差し支えない浅い川が目の前をさらさらと流れていく。
眺めていると、赤い色が目についた。
川の上流から、赤い何かが流れてきた。それは川に溶け込んで、小さな川をみるみるうちに染めていく。
美しい光景だった。
なぜか美しいと感じていた。
気がつくと、隣に女が立っていた。
顔を見たわけではないが、白いワンピースを来た女だと分かった。
「○○さん」
ぽつり、と女が名前をつぶやいた。
「○○さんを知りませんか」
その声はか細く、川の音にあっさりと溶け込みそうだった。
「○○さんはどこにいるの…」
目を覚ました私は、その足で病院へと駆け込んだ。
健康診断で見逃されていた疾患が見つかり、入院とまではいかなかったが、少しの間通院しなくてはならなくなった。
「先輩、体調大丈夫っすか」
「大したことないよ」
オンラインミーティングで顔を合わせた後輩はいつもと変わらずすっとぼけた言い方だったが、珍しく心配そうな表情を浮かべていた。
「急に休んだりするから、大病かと思ったっす。先輩って頑丈だけが取り柄でしょ?」
「失礼なやつだなあ」
おおげさに怒ってみせるとケラケラと彼は笑った。
そのまま仕事の話を進め、ミーティングの終わり際、私は口を開いた。
「それにしても…当たってたな」
「何がっすか?」
「夢」
「夢?」
「お前が言っていた、赤い川に出てくる女の夢。人の病を予言するって」
一息に言うと、後輩が首を傾げた。
「そんな話しましたっけ」
「この間のオンライン飲み会のときにしてただろ」
「んん?」
後輩が90度以上におおげさに首を傾げてみせる。
「何の話か、さっぱりっす」
「……酔って覚えてないだけだろ」
「そうっすかね……でも、10時くらいには切り上げたし、そんなに飲んだ記憶ないっすよ」
10時。
あのときちらりとみた時間。
明らかに12時をまわっていた。
「でも…」
「ほら、自分、子どもが生まれたから、夜は奥さんと交代でみてるんすよ。だからそんなに遅くまで飲めないんすよね」
先輩も知ってるでしょ?と後輩が笑う。
だけどほかのやつも知ってるはず……と言いつのろうとして気がついた。
ゆっくりと、後ろから誰かの腕が自分を抱きしめていく。
細く白い、女の腕だった。
「ま、ともかく、お大事にしてくださいっす! 健康第一っすよ!」
後輩の元気な声がモニターの向こうに消えていく。
○○さんを、知りませんか。
しんとした家の中、ぽつり、と女の声だけが聞こえてきた。
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