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【第30話】『恐怖の天使』と『魔界の狂犬』
「奇花! きぃかぁ〜!」
同じく、時は数十年前。
天使に育てられた少女・ダイアナが、魔の使者・ヴィクトルに殺害されて間もない頃。
俺・奇花は仕事をしているところを、背後から誰かに呼び止められた。
振り返らなくても、誰だか分かった。
「どうしたの。ミゼラニファル」
名前を呼んで尋ねると、その天使は俺の横に着地した。
病気かと心配になるほどの白い肌、星を集めたような冷たい銀髪、白と銀のオッドアイ。
華奢で小柄な見た目からか、それとも幼い顔立ちからか、中性的な少年の天使。
「疲れたよぉ。ボクの仕事代わりにやってぇ、奇花〜」
着地するなり、ミゼラニファルはひしっと俺に抱きついた。そして、甘えた声を出しながら、鼻先が触れるギリギリまで顔を近づける。
普段は銀髪に隠れている、光の宿らぬ銀色の左目がちらりと覗く。そして、普段からあらわになっている白い右目は、光に反射して青く染まった。
まるで弟のようで、俺は困り顔でミゼラニファルの頭をぽんぽんと優しく撫でた。
「この前もそうだっただろ。仕事をやる時間に、遊び呆けてたんじゃないか。ダメだよ、今度は自分でやって」
「なんでー! 優しそうな顔して、奇花の意地悪う」
ミゼラニファルは口を尖らせ、俺から離れ上空に羽を動かした。
どんよりとした、灰色の昼下がり。
頭上に広がる曇り空に、銀色の不気味な天使が、物足りなさそうに舞い踊る。
彼は見た目こそ神秘的だが、どこか天使らしくない天使だった。
ミゼラニファルは俺を見ながらくるくると回っていた。
「分かったよー、ボクの仕事はボクがやる。でも、天神さまのお願いなら、聞いてくれるよね?」
ミゼラニファルが目をすっと細めた。
悪意の宿るその瞳を、生憎俺は見ていなかった。遠くに立つ白い風車を眺めて、ぼんやりとしていた。
「天神さまの? もちろん、聞くけど、なにか」
「ヴィクトルを天界に捕まえてきて」
耳元で、背筋の氷のような声がした。
その一言で、俺は振り返るのを躊躇した。
俺の耳に口を寄せたミゼラニファルは、隣に着地して、そのまま俺に身体をぴったりとくっつける。
俺は視線を迷わせながら、恐る恐る訊き返した。
「……ヴィクトルを?」
「そう。で、ボクが拷問する」
聞きたくなかったその一言を、ミゼラニファルは俺が遮る前に放った。
背筋がぞわりとした。
彼は生まれたときから、残酷を体現したようだった。
黙っていればただの美少年。その内面は、味方でさえ恐ろしがるほど残忍。
他者の恐怖を煽り、苦しみもがく表情を好み、ルールを破った天使や敵対する悪魔・魔女がいれば徹底的にいじめる。
みんなが、ミゼラニファルを避けた。味方なのに味方に見えない。いつ何時も侮れない。
それが、ミゼラニファル。
「気が進まないから、奇花に代わってもらおうと思ったのに〜。つまんない。仕方ないし、捕まえてこよっと」
くるりと身を翻し、ミゼラニファルは飛び立とうとする。俺は慌てて止めた。
「ま、待って。お前ひとりじゃ、怪我するぞ。ヴィクトルはかなり強いから……っ」
ミゼラニファルは、正直に言って、あまり強くなかった。
コントロールは良いが反射神経が遅く、悪魔に喧嘩をふっかけられて大怪我をしたこともある。
ミゼラニファルはむうっと眉を寄せて不満げな顔をした。
「知ってるよぉそんなの。でも奇花代わってくれないんでしょ〜」
「……」
「そんじゃバイバイ。久しぶりなんだよ、拷問してもいいよって言われたの。楽しみなんだから止めないで。ね?」
ニコニコの笑顔に戻り、去っていこうとする彼の背を見つめた。
いくら敵だからって、憎いからって、痛めつけて殺すなんてしたくない。俺は、そんな天使になりたかったんじゃない。
俺は————。
「そうだ。言い忘れてた」
白い羽根を広げ、いざ飛び立とうとしていたミゼラニファルが、勢い良く俺に向かって振り返る。広げた羽根が俺の顔に直撃した。
「んぶっ」
「あ、ごめん」
ミゼラニファルは大して悪いとも思っていないような表情で、ゆっくりと羽根を畳んだ。
そして、再び鼻先がつきそうになるくらい、顔を近づける。そして————、
「ダイアナ、ヴィクトルに殺されちゃったんだってさ。まだ七歳だったのに。可哀想だね、ねえ奇花?」
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