寡黙なる探偵への道

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 その探偵は一切喋らない。かと言って身振り手振りが大袈裟な訳ではなく、ただ黙って、粛々と事件を解決する。そんな噂話を耳にし、やって来た。ここが… 「ここが猫足探偵事務所か。」  田舎というほど田畑はなく、都会というほど高層ビルもない。ごく一般的な地方都市の一画にその探偵事務所はあった。これまたどこにでもありそうな雑居ビルの3階に居を構えている。 「兎も角、中に入るか。」  そう私は独り言ちながらビルに入っていった。  今時エレベーターがなく階段しかない点は、古式ゆかしくもあるが、行くも戻るも自由な階段は依頼者の決意を鈍らせるのではないかと、意味もない考え事をしながら階段を上って行く。  2階の謎のマッサージ店を横目に3階へと上っていこうと階段の先を見ると、人が踊場に立っていた。中肉中背のどこにでもいそうな40代くらいの男がコートのポケットに手を突っ込みながら上を見上げていた。 えっ、気まずい。  この光景を見て私はまずそう思った。思った瞬間に帰ろうかとも追加で思った。現実には、男を2階から見上げながら突っ立っていただけなのだが。 「あんたも何か依頼しに来たのかい?」  ぼーと見上げ、どうしたものかと逡巡していると踊場の男がついっと顔を下げ、そう声を出した。 「あ、あぁ、そうですね。依頼者と言われればそうかもしれない。」  私は唐突に投げかけられた質問に対し、ユーモアに欠けた返答をした。いやここでユーモアは必要ないと思うが。 「そいつはツイてるね。今はちょうど前の依頼が終わったところだ。とはいえ、あまり客が多い商売でもないから、珍しいタイミングとも言えるね。」 「…はぁ、そうですか。」  訳知り顔で答える男を見ながら、私はどこから突っ込むべきか悩んでいた。男について聞くべきか、何故踊場にいるのか聞くべきか、どうして上を向いていたのか聞くべきか… 「もしかして探偵事務所の方ですか?」  少し悩んだ末に私はそう質問した。 「そうだね。3階の探偵事務所で依頼人の話を聞く仕事をしている。」  と、男は曰った。具体的だが要領を得ない言い方ではあったが、知りたい情報は知れたので会話を続けることにした。 「はぁ、なかなか希有な仕事をしていらっしゃるのですね。」 「そうなんだよ。なに、これがまた難しい仕事でね。人の話を聞くことがこれほど難しいとは思わなんだよ。やりがいもあるがね。」  男はタバコを思い切り吸って吐き出したような表情をしながら、愉快そうに話していた。変わった人だと思うが、そもそも探偵事務所で働く人がどんな人達なのか、私は寡聞にして知らない。変人であろうとも必要な能力があれば、きっと問題ないだろう。 「それでは、私の依頼も聞いていただけるのですか?」 「あぁ、そろそろ立ち話も難だ。そこの喫茶店ででも話を聞かせてもらおうかな。」  喫茶店?この近くにあっただろうか?と考えていると、男はさっさと階段を下り、2階の店へと向かって行った。マッサージ店だと思った店は喫茶店だったらしい。30分コースとは一体…。 「ここはコーヒーの飲み放題もあってね。依頼人との話もほとんどここでしているんだよ。」 「…なかなか変わった喫茶店ですね。」  男はクルリと振り返り、喫茶店の看板を示しながらそう言った。  類は友を呼ぶとはこのことだろうか。変人の集う雑居ビル。やにわに怪しくなってきた。 とは言え、このまま帰っても癪である。ここに来るときとは別の覚悟を決め、私は喫茶店へと入っていった。
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