コンクリートの足跡

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3月半ばの鹿児島は、暑くもなく寒くもなく比較的過ごしやすい季節だ。ただ、花粉が飛ぶので好きな季節でない。桜島の火山灰は1年中飛んでくるけど。 家を出て、大通りを渡り、コンビニで花と線香を買う。そして道幅が広めの路地をぬけ、雑木林に入る。それを抜けると、古びた墓が集まっている場所がある。 そこにひとつ周りの墓とは明らかに溶け込めていない新しめの墓がある。 〈高宮家之墓〉 有望の墓だ。 5年前の夏休み、有望は交通事故で亡くなった。あとから聞いたところによると即死だったそうだ。 苦しみながら死ぬよりは、マシだったのかなと思う時もあったが、生きていて欲しかった。これ以上の望みはなかった。 あの日、事故があった日、俺と有望は俺の家でゲームをしていた。少し飽きたところで有望がアイスを買いに行こうと提案してきたので、二つ返事で了承した。2人で家を出ようとすると、 「あっ、洸太と有望ちゃん。今、うちの庭コンクリートで固めてる最中だから、踏まないようにね。まだ固まりきってないから。」母さんがスイカを齧りながら、俺たちに注意をしてきた。 「えー、やっぱりコンクリートで固めちゃったのかぁ。好きだったのになぁ。雑草の匂いとか、綺麗な緑色とか。」有望が少しボヤく。 「そうは言ってもねぇ。雑草が伸びたりしたら刈るのが大変だし、雨が上がったあとは虫が大量に湧くしねぇ…」母さんが申し訳なさそうに言う。 「あっ、別に不満があるとかじゃないの。ただ私と洸太が小さい時から遊んでた庭だったから、思い出がコンクリートでなくなっちゃうような気がして…気にしないでね、おばちゃん。」 有望はそう言うと、作り笑顔で母さんに手を振り俺たちは玄関を出た。けれど、やはりその笑顔の下には悲しみの感情が見え隠れしている。 確かに、この家の庭で俺と有望は小さい時から遊び回っていた。ありとあらゆる遊びをしたその庭がコンクリートによって固められてしまうのは、思い出が隠されてしまうと捉えても不自然ではない。俺も、有望ほどではないが寂しい気持ちがある。 コンビニに歩き出そうとすると、有望が俺の腕を掴んできて、さっきの悲しそうな表情はどこへやら。 小さい子供がいたずらをする時の顔をしていた。 「ねぇ、洸太。思い出が無くなっちゃうなら、思い出を上書きをしようよ。」有望の目が輝いている。 「いいけど、具体的には何するの?次はコンクリートの上で遊び回るか?」俺が妥当だと思われる提案をすると、有望は心底人を馬鹿にするような顔をして、 「ふっ、だから洸太はダメなんだよ。私たちはもうそんな年齢じゃないでしょ。そういうことじゃないよ。形に残らない思い出をつくるんじゃなくて、形に残る思い出を作るんだよ。つまり、このコンクリートに足跡をつけよう。」 妙に腹立つ顔にダメだしされたのは、ムッと来たがムキになると相手の思う壺なので感情を押し殺し、有望に訊ねる。 「なるほど。でもいいのか?さっき、踏むなって言われたばっかだろ。怒られても知らんぞ。」 「その時は連帯責任だよ。私と洸太でつけるんだから。私たちはここで育ったってことを形に残そうよ。ほら、やるよ。」 「まぁ、いいか。確かに何年経っても残ってたら面白そうだし。やるか。」 「はい、じゃあせーのっ」 ぎゅっ、俺と有望はまだ固まりきっていないコンクリートに一緒に足跡をつける。 「あー!なんで洸太右足でつけんの、私は左足でつけたのに!普通こういうのってどっちかに揃えるでしょ。なんか、左右で違う靴履いてる人がコンクリートの上に立ったみたいになっちゃったじゃん。」 有望が少し顔をふくらませていたが、少し笑ってもいた。 「いや、だったら先に言えよ。てか、こういうのってなんだよ。コンクリートに足跡つけることに普通があるのかよ。」俺が笑いながら突っ込むと、 「何年一緒にいると思ってるの私達。言わなくても分かるでしょ。あー、やっぱり洸太とは気が合わないみたいだなぁ。」有望が満面の笑顔で笑う。 「何、騒いでんのあんた達、玄関前でうるさいよ。って、何してんの!?さっき、踏むなって言ったばっかりでしょ!!」母さんの顔がみるみる鬼に変わっていくのが分かる。 俺と有望はそれを見て、逃げろー!と言いながら、走り出す。すぐそこは大通りで渡るとコンビニがある。信号は青。有望が信号確認して、後ろを走っている俺に早くー!と言いながら手を差し伸べてくる。俺は、その手を掴もうとした瞬間、時間が止まったかのようにゆっくり流れ出した。 気づいた時にはもう遅かった。有望に止まれ!!と言う前に、有望は横から猛スピードで走ってきた車に弾き飛ばされた。スローモーションのように流れるその光景は、走っていた俺の足さえも止めた。数メートル先に有望が血を流して倒れている。時間は動き出しているはずなのに、俺の足は一向に動かなかった。 その事故の後からの記憶は曖昧で、俺の時間が動き出したのは有望の葬儀から帰ってきた後に見た、コンクリートの足跡だった。それを見た瞬間、有望との思い出が頭の中から溢れ出るように蘇り、俺はその場で泣き叫んだ。 赤信号に飛び出してきた車の運転手は、酒を飲んでいたらしく、すぐさま警察に逮捕された。 人生にタラレバはない。母さんに見つからなかったら。走り出さなかったら。信号が赤だったら。運転手が酒を飲んでいなかったら。言い出したらキリがない。自分がしてきたことを恨むのはお門違い。しかし、しなかったことを恨むのはなくしてから気づくものだ。消えるのは突然、そして一瞬。有望を亡くしてから、しばらくは絶望の淵に立たされていたが、時間が経つにつれて得るものもあったことに気づいた。 不謹慎かもしれないが、大切なものはなくしてから気づく。なら、俺はこれからどうするべきか。将来、後悔しない選択をするなんて無理だ。なら、今このときを後悔しないようにする選択はできる。 今、自分が納得できる選択ができるならこの先も後悔しないかもしれない。自分に出来るのはこれだ。 だから、俺は有望が憧れていた東京の大学をめざし、何とか合格。これからの事はまたその時決めればいい。少なくとも、有望を亡くしてから、東京の大学を目指そうと決めたその選択を今の俺は後悔はしていない。不安もあるが楽しみの方が多い。 しかし、有望に伝えるのは東京に行くことではない。これからの俺達のことだ。 墓石を軽く拭き、花立てに花を入れて線香をあげる。その場にしゃがみこみ、目を瞑り手を合わせる。 有望、俺は有望が行きたがっていた、東京の大学に合格したよ。これからは、たまにしか来れなくなるけど、我慢しろよな。 それで、今日俺が伝えたいのはそれだけじゃない。俺は東京の大学に行くという選択を有望が目指していたからという理由で、目指した。その事について後悔はない。ただ、俺はこれから自分で選択をしていこうと思う。言い方は悪いかもしれないけど、いつまでも有望を引きずっていても前に進めない。 有望の選択が俺の選択なのは今日ここまでだ。明日からは自分の選択で生きていくことにするよ。 もし、俺が間違っている選択をしようとしたら、天国から教えてくれよな。じゃあな、有望。 顔を上げて、空を見上げる。空はスッキリと晴れ渡っていて清々しいほど深い青に染まっている。 新たな道を歩き始めようと1歩を踏み出すと、足元が妙に柔らかかった。不思議に思い足元に目線を落とすと、まだ固まりきっていないコンクリートを踏んでしまっていた。近くにはコンクリートが塗りたて注意と書いてある看板がたっていた。来た時には気づかなかったが、通路が舗装されていたらしい。 俺はそこに自分の足跡を残して、その場を去った。 (終わり)
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