-金-

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輪伊島 隆(わいじま りゅう) 摘下 スバル(つみした すばる) 「おいおっさん!いい加減…」 「輪伊島先生、だよ。摘下君」 「っせー。いい加減そーやってはぐらかすのヤメロ。んでさっさと俺とヤり合え!」 摘下スバル。校内きっての兄貴肌ヤンキー。授業中から休み時間からほとんど寝ているくせ、ケンカとなると本領発揮と言わんばかりの負け知らず。大学のイキった輩と揉めて全滅させて帰ってきたのは伝説と言われる事実である。 そんな男が想うのが、40代後半の高校教師なのだから困ったものだ。顔や態度にはおくびにも出さないが、本人でさえ相当困っている。 輪伊島隆。現在38歳。軽く伸ばした、色素の薄いくせ毛を後ろで一つにまとめている。あのゴムが外されるところは、一度しか見たことがない。普段は色あせたスーツに身を包んでいる。寒い日はマフラーを巻いているのを見かける。ポケットに手を突っ込んで歩く姿はまた様になるのだ。職員室に行けば、眼鏡をかけてパソコン作業をしていることがある。そういう時はラッキーだ。横顔なんか、妙に色気があるのである。 初めは単なる憧れだった。と、思う。初めて会ったのは一年生の時。校舎裏で当時の上級生達が何かと目立つ摘下の悪口を言い合っていた。それを偶然聞いたのだ。矛先は摘下に留まらず、周りの友達のことまで『シメようぜ』なんて好き放題言われ、耐えかねて結局手を出した。当然全員ボコボコにして、それでもどういうわけか怒りが収まらなくて、半殺しにしている時だった。 「そろそろやめてやれよ」 静かに声がした。静かに、それでもはっきりと聞こえる声だ。はっきりとしたガサついた低音。 「あ?」 「ほら。一人意識飛ばしてる。この子は貧血でも起こしそうだよ。顔を狙うのはやめてあげなさい。出血量も多いし、顔面は人間の資本だから」 「あァ?るせェなおっさん。近づいて来んじゃねェよ。殴んぞ」 きつく睨む摘下を見て、輪伊島は悠々としている。顔ごと恐ろしい摘下が本気で睨めば大抵の者は後退りするってのにだ。 「僕は教師だよ。殴ってはいけないことくらい、分かるだろう?」 今思えばわざと煽っていたのかもしれない。摘下のような場数を踏んできたタイプは見て分からせる方が早い。 「そういう、教師とかいう盾持って自分で戦わねェ奴が、俺は大っ嫌いなんだよォ!」 殴ろうと、した。拳を振り上げて、足を踏み込んだその瞬間、輪伊島が髪の毛のゴムをとった。サラリと、風に髪が流れる。途端に摘下の体は自由がきかなくなった。やばい。こいつは駄目だ。こいつは…本能が危険を訴える。殺される。体が、無意識に震える。圧倒的強者の圧。 動きが弱まった摘下の右手を輪伊島がいとも簡単に抑える。息を吸った。ひっ、なんて、みっともない声も出たかもしれない。右手に触られた瞬間に本当に殺されると思った。心臓を、視線に貫かれる感覚。腰を抜かすことも息をすることも許されず、摘下はただただ固まるしかなかった。輪伊島の手が離れるまで。 「えらいね」 摘下スバルはその日、初めて強者を知った。 単純に強さに惚れ憧れた。それがどうしてか、いつの間にか恋心みたいになっている。輪伊島と対等にケンカしたいと思って力をつけ、退学にならないよう勉強もした。40近いおっさんにこんなの意味が分からないが、摘下は本気みたいである。だから真っ直ぐ突っ込んでいくのに、いつも簡単にはぐらかされる。 いい加減… 摘下の想いは、未だ届いているのか否かも分からない。
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