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弐
京香が朝話した通り、学校は早めに終わった。昼を食堂で友人と食べ、二時には浅羽神社に戻ってきた。寄り道はせずに。
「未早さんは……いないか。社務所かな」
朝いた鳥居の近くには見当たらず、ふむ、と一人つぶやき、住居である家に向かおうとする。
―じゃり、じゃりじゃりじゃり。
「……ん?」
また足音が聞こえた。
自分の足音かと思って立ち止まる。だが、その足音は後ろで続く。
じゃりじゃり、じゃり、じゃり。
まるで、おそるおそる近づいてきているみたいに。
「……昼間だし、怖くない、怖くない」
後ろに何もいないことを願って、意を決して振り返る。
バッ。
「…………?」
何もない、と思ったところで、視界の下の方にぴょこんとはねる桃色の髪があることに気付いた。視線を下に向けると、見知らぬ少女が立っている。
「あ」
「ぅえっ⁉」
「やっぱりあたしのこと見えるんだ!」
柔らかく高めの声は鈴のようにひきつけられる。前髪は毛先がまっすぐ整えられており、菜の花のような黄色の瞳はややつり目で、ぱっと見は猫のようだ。長い髪は足首近くまで伸びている。
「……みえて、る、けど……幽霊、じゃないですよね。足はあるし」
確かに、彼女は下駄をはいている。京香に近づこうと足を動かすと、じゃり、と音がした。これまで聞いていた音が目の前の少女のものだったことに気付く。
「そうよ、あたしは幽霊じゃないわ!」
「だったら……、あ、迷子? お母さんかお父さんはどこかな」
「迷子でもないわよ。あたしは、ミヅハノメ。聞いたことない?」
「ミヅハノメ……」
はて、どこかで聞いたような。
「……両親から聞いたことがあります」
「でしょ? でしょでしょー」
「でも、ミヅハノメ……って、うちが祀っている……」
神様のはずだ。
……神様が目の前に? しゃべって? 自分がおかしくなったのだろうか。
「あはは、大丈夫。ちっともおかしくない!」
「えっ? なんで」
何も言っていないのに、考えていることが分かるのだろう?
「それは、あたしが本物のミヅハノメだからよ」
ふふーん、と腰に両手をあてて得意げに話すミヅハノメ。前髪が動いて、まろ眉なのが分かる。来ている服も、着物……のように見える。ように、というのは、上半身は着物だが下は袴ではなくプリーツのあるスカートのように見えるからだ。見た目は十歳程度。神様なら何百歳にもなっているだろう。
「本物……」
「そうよ」
「……み、未早さん! 未早さーん!」
混乱した京香は未早の名前を呼びながら駆け出す。と、ミヅハノメは瞬間移動をして京香の前で通せんぼをするように両腕を大の字に広げて現れた。
「落ち着きなって!」
「だ、だって……」
「あたしが見えるのは、あなただけだよ。浅羽京香」
「私の名前…!!」
「浅羽家の一人娘を知らないわけないでしょ!」
「でも、え? なんで私にだけ見えるって知ってるの?」
そこに、じゃりじゃりと砂利を歩く音が聞こえる。姿を見せたのは、呼んでいた未早ではなく、京香の母親である静だった。
「京香、もう帰ってたの? それなら皆さんのところに……。……どうしたの」
「え、あ、えっと……、そうだ、お母さん、ミヅハノメ様っているよね」
「そうよ、私たちが大事にしてきた神様。それがどうしたの?」
「……分からないの?」
「何が?」
ミヅハノメは見えていないのを証明するように、静の目の前で手をぶんぶん横にふる。無反応。京香にしか見えていないのは本当らしい。
「……なんでもない」
「……? 疲れてるの?」
「……かも。ちょっと散歩してくる」
「そう、分かったわ。いってらっしゃい」
静は戸惑いながらも笑むと、そのまま家へと向かった。どうやら、先ほどまでは社務所の方で手伝っていたらしい。浅羽神社は小さくはない神社で平日でも休日でもそこそこ来客がある。
「これでわかった? あたしは京香にしか見えてないってこと」
「ええと、はい。でも、なんで私に……」
「あなたが初めてじゃないの。前にあたしと話せたのは四代前の当主、浅羽ダイさん」
「浅羽、ダイ? ……あっ、江戸時代の人ですよね? お母さんが話してくれたことあります。ひいおじいさんがゴロウさんで、二人合わせてダイゴロウ、覚えやすいでしょって」
「……その覚え方は新しいね。ふふ」
ミヅハノメが本当に面白そうに、笑いをこらえるようにして微笑む。
「そう、ダイはゴロウのお父さん。ダイにあたしが見えたのは、あの人が器だったから」
「うつわ? なんの?」
「あたしが入る器」
「ミヅハノメ様が?」
「そう。たまにいるのよ、あたしが入ることができる人間。そういう人は、死ぬまであたしが見えるし、こうやって話せるの」
「……私が、ミヅハノメ様の器……。ダイさんの次が私、ってことですか?」
「そうよ。器が出てくるのは、あたしの力が弱ってるときなの。器に入らないと神通力が使えないってことだから」
「はあ……。神通力、ですか」
「それで京香の考えか分かるし、参拝客の願いもかなえられる」
ミヅハノメの説明で、なんとなくわかってきた。ミヅハノメが神として願いをかなえるという仕事をするためには神通力を使うが今のままでは京香にしか通用しないということのようだ。
「うーんと、じゃあ、ミヅハノメ様は……」
「力が弱まってるみたい。波があるからねー」
「波……」
気分が乗らない、というような口ぶりだが、神様にしてはその口調は軽く聞こえる。
「てかさ」
「はい?」
「ミヅハノメって言いにくいよね?」
「え? いや、別に……」
「言いにくいでしょ?」
うなずけ、とでも言いたそうな目で質問をくり返す。
京香はたじたじになりながら、首を縦にふることにした。
「確かに、少しだけ」
「……ふふっ」
「え?」
笑われた。軽いショックを受けていると、あわてたように訂正する。
「いや、ごめん。ほんとはさ、あんまり正式名で呼ばれない方がいいんだよね」
「どうしてですか?」
「あたしと話してるってわかっちゃうから。その敬語もできればやめてほしいな〜」
「……ひとりごとに聞こえたほうがいいから、とか」
「そういうこと!」
神様相手に敬語なしとは。
だが、ミヅハノメのいうことももっともなように思えた。京香自身、周囲に変な人だと思われたくなかった。ミヅハノメと話しているのは本当なのに。
「……うん、分かった。なんて呼べばいいのかな」
「そうだねー。ダイには葉月って呼ばれてたけど」
「葉月?」
「夏に出会ったからさ。今は春だし、卯月って呼んでもらおうかな!」
葉月は八月の和名だ。そして、今は四月。
「卯月……。かわいい名前」
「そ? ありがとう」
呼び方を褒めるとニコニコと笑う。その笑みはまるで神様というより近所の子どものようで、幼さを感じさせた。
「そうと決まれば、京香」
「うん」
「神通力について教えとくね。あたしの場合は、願いを叶えたい人とおでこを合わせないといけないの。もしくは、手のひらをおでこにあてる」
「……うん」
「でも、あたしは京香以外の人間には見えないし話せないし触れない。だから、京香の中に移って、京香として話したり、おでこをくっつけたり、手でさわるの」
「…………えっ? 待って、知らない人にそれをやるってこと?」
「知らない人じゃないよ。参拝客じゃん」
知らない人なんですが?
そんな心の声が聞こえたようで、あはは、とミヅハノメ改め卯月が笑う。
「あたしに任せてれば大丈夫! 京香の記憶が無くなるわけでもないし」
「本当に?」
「うん。あたしが中にいる間は、京香の意思で体が動かせないってだけ。でも、すごいことだよ」
「すごいの?」
「すごいよ! だって、京香が神様になるんだよ。かりそめの神様」
「かりそめ……」
よく分からないが、言われたとおりにすればいいのだろう。
母親の静には見えていなかったが、京香には見えている。足音は聞こえるのに足あとはなかった。そんなだから、神様かどうかはさておき、少なくとも、人間でないことは明らかだった。
「一時的な神様ってこと。よろしくね、京香!」
「……うん、よろしく。卯月」
卯月の明るい笑顔に、京香も思わず目を細めてうなずいていた。
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