あしあとのあなぐら

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あしあとのあなぐら

 私は親指サイズにも満たない小人だ。今はワケあって雪の中に身をひそめている。  朝方の真っ白な曇り空から、今もしんしんと粉雪が降り注ぐ。私は森で拾った枯葉を頭上に掲げることで、なんとか巨大な白い塊から身を守っていた。  積雪の壁、雲に覆われた空、自分の吐息。視界全てが白色に包まれる。  私はでこぼこだらけの足場を見下ろした。これまた真っ白で冷たい積雪の床には、規則的な(まだら)のような模様が一面に描かれている。唯一平らに思えた中央部には遠目に見ると、太字で英単語が綴ってあるようだった。知らないブランド名だけれど、おそらく開発社のロゴでも彫られていたのだろう。  この模様はスニーカーの靴跡だ。   *  私が小人に生まれ変わったと知ったのは、夜が明ける直前のことだった。  小人になる前の私は――自殺した。大した理由はないけれど、強いて言えば死んだ方が周りが得するだろうからだ。  それはそうと小人として目覚めた私は、自分が樹の下の雪上で寝ていることに気付いた。そして、すぐさま極寒と鋭い殺気に身を震わせる。  遠くに目を向けると案の定、黒い毛むくじゃら足がこちらを向いているではないか。足首くらいまでの高さしか見えなかったけれど、あれはきっと狼だ。いや、狼じゃなくても危険な動物だったことは間違いない。  私は回れ右をして思いきり走った。後ろからざく、ざく、ざくと足音が迫ってくる。私は踏みしめる雪の冷たさに耐えながら逃げ続けた。  すると木々の間を抜けて、ひらけた場所が見えてきた。そのまま広い雪原へまっすぐ駆けていくと、目の前に大きな穴場があることに気付く。周りを見る余裕が全くなかった私は、迷わずその中へ飛び込んだ。  ざく、ざくと足音が聞こえる。  その靴音はあらぬ方へ遠ざかっていった。  私はいつの間にか引きずっていた枯葉で身を隠す。疲れを隠せず息を切らしながら待っていると、狼の気配はすっかりなくなったようだった。私はほっと胸を撫で下ろす。  けれど、しばらくして――  手を伸ばしても届かない地上を見上げて、途方に暮れるのだった。   *  朦朧とした意識で、私は枯葉の筋だけを見ていた。その裏にぼすっ、と粉雪がのしかかる。重さは感じないけれど、それ以前に自分の体が鉛のように重い。  足跡の中に飛び込んでからは、どうにかして抜け出す方法を試してきたけれど、駄目そうだ。  壁をよじ登ろうとしてみたけれど、積雪は少し押しただけでぼろぼろと崩れ落ちてしまう。そもそも登れたとしても雪が冷たすぎて、素手と裸足ではまともに踏ん張れそうにない。  なら足元の雪を積み上げていけば?  そう考えて頑張ってはみたけれど、思った以上に手間が要る作業だった。少し足場を積み上げられても目標はあまりに高くて、さらに多くの雪を積んでいかなければいけない。それを最後までやり切る前に、私の体は限界を迎えてしまった。  そして、今。  私は仰向けに倒れて、すっかり動かなくなった。  足の感覚はとっくに無くなっている。顔に粉雪が被さらないよう防いではいるけれど、もう時間の問題だ。たわんだ枯葉から塊がこぼれ落ちて私を囲んでいく。  背中が刺すように冷たかったけれど、転げ回ったりはしなかった。これ以上スニーカーの靴跡を消してしまうことが、なんとなく嫌だったから。  結局凍え死ぬならば、いっそ狼に食われる方が楽だっただろうか。  けれど私は逃げて、足跡の穴に辿り着いた。思えば小人の歩幅で狼から逃げ切れて、さらに偶然穴に隠れられるなんて滅多にない奇跡だ。  この跡を残したスニーカーの人は、私に気付かないままだろうか。  近くで私の代わりに、狼に食われてはいないだろうか?  何も知らないまま、何も知られないまま、私は真っ白な雪の中に埋められてしまうのだろうか。  このまま死んでしまうことが、なんだか悔しかった。  生きてみたかった。  スニーカーの人に会ってみたかった。靴のブランド名でも言い当てて、びっくりさせてみたかった。生きていることを自慢してみたかった。  小人になる前の私も、知らずのうちに誰かを助けたりしていただろうか?  閉じた瞼の裏からしずくが溢れる。頬を伝って落ちるそれは少しだけ暖かくて――すぐに冷たくなった。  力尽きた体は雪解けの水にもぐり、やがて地中へ還っていった。
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