第一話 水師の表と第一次北伐

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第一話 水師の表と第一次北伐

 南蛮討伐より帰還した次の年、二二六年。魏皇帝曹丕が崩御し、曹叡が皇帝に即位、明帝と名乗った。曹丕の遺言では曹真・陳羣・曹休と共に司馬懿が曹叡の補佐を託された。曹叡は、臣下等と面識が無いため、父の代からの重臣であった司馬懿や陳羣らを重用し、政事にあたらせた。司馬懿は、襄陽に侵攻した呉軍、諸葛瑾・張覇らを徐晃らとともに破る等功績を挙げ、曹叡の信頼を厚くしていった。  蜀では、過去に裏切りをした孟達が、曹丕の死後立場を失い、諸葛亮はこれを知ると孟達と内通した。魏との戦いのため、準備をし、諸葛亮は、漢中より北へと行軍する経路を考え、決意を書にしたためていた。 廖化は、并州太守を兼務し、将軍の肩書を与えられた。丞相参軍と将軍職を兼ねるため、  近衛兵の統率を、名声・官位ともに趙雲に次ぐ忠節勇武な陳到が行い、白毦兵という精鋭部隊を率いた。孟獲らも蜀軍に飛軍を率い参軍し、馬謖は軍師、董允は参謀として役職を与えられた。若き壮士で、廖化の副将とし、羅憲が配置された。 「羅憲よ、戦い方は、攻めるだけではなく守るのも大事である。我が軍は、他軍から比べれば武力は弱いと評される。しかし、武よりも団結を選ぶ。君は、そこから学ぶこともあるかもしれない」 「廖化殿、仲間を大切にする部隊と聞いております。どうぞよろしくお願いいたします」  羅憲も実直な男であった。廖化は、その足で、少し前に亡くなっていた伊籍の墓参りをし、 「伊籍殿、蜀の方を定め、国の重鎮となったあなたと、共に戦ったことを感謝致す」 そう心の中で呟き、宮廷へと急いだ。  蜀の間では、軍功がある者と、前五虎将の縁戚である者、功績がある将とで後五虎将と言われる強者と噂されている五人がいた。  関興・張苞・張翼・陳到・馬岱が次の時代を引っ張る将達であった。諸葛亮も、彼らに目をかけ、馬謖と蒋琬・費緯・董允等を四智将とし知略や政治面で活躍する人物として厚遇した。  廖化は、趙雲と話していた際、その噂を聞いた。 「この儂は、年寄りのため五大将軍は引退だ。廖化よ、お主も、この度、蜀中の強者に入らなかったな」 「趙雲殿、痛いところを突きますね。しかし、それは実力です。若い将等で、腕の立つ武功ある面々、先の南蛮との戦いでこの目で見ても素晴らしかったですよ」 「そうだったか、時代は変わっていくものだな。世代交代か」  半ば寂しそうにも見えたその趙雲の表情も、晴れやかでもあった。  諸葛亮は、先主劉備の悲願であった、漢復興に向けて軍事、内政とも着手し、この一年で蜀漢も、多くの兵糧を蓄え、兵士を募り大きく飛躍した。いよいよ、諸葛亮は魏へ攻め入ることを発表した。  成都宮廷の前に、蜀軍のそうそうたる武官や文官を並べ、諸葛亮は、『出師の表』を読んだ。 「臣下、亮が陛下に謹んで申し上げます。先帝劉備様は、漢復興を半ばにし亡くなられ、今、天下は三分し、益州は最も弱く疲弊しております。まさに危急存亡のときであります……」  国家を憂い、劉備の威光を尊び、忠臣をねぎらった。そして、南蛮の憂いが無くなった今、士気も上がり、征伐する機だと言った。諸葛亮は、涙ながらに読み、臣下全員が、この出師表を聞き、涙したと言う。  魏では、蜀が北伐の準備をしているとの噂を聞き、司馬懿を軍師に、総大将を曹真に命じ、漢中以北の守りを固めた。縁戚である曹真の取り巻きと、実力ある司馬懿との確執が生まれ、司馬懿はうまく政治や軍事に口を出すのが困難な状態となっていた。魏にとっては、司馬懿が北伐に口を出せない事は、蜀にとって有利に働いた。  
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