第四話 西方の脅威

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 その後、迷当大王と姜維とが面会し、盟を結んだ。この盟約により、迷当大王を慕う西方の脅威は、無くなっていった。 「あとは、北か……」  廖化は、ひと仕事を終え、ホッと溜息をついた。  廖化は、姜維や四将と共に漢中以北に行き、魏との交戦の計画を練った。羌族の兵も一万ほど借り受け、軍の勢いは上がっていた。 廖化は、蜀軍の中でも、北伐で勇猛果敢の将として戦果を残したため、陰平郡太守となり、この地一帯の政治をも取り仕切ることになっていた。姜維等と話し合いの上、先鋒群として張翼と廖化が、魏へ先手を打って攻め入ることになった。 この年の秋、廖化は、魏の将、宕蕈の陣営を攻撃した。これを聞いた雍州刺史・郭淮は配下である広魏郡太守の王贇や、南安郡太守の游奕に命令し、軍を与えた。 「王贇、游奕。廖化を挟み撃ちするため、山に軍を分けて構え攻めるのだ!」 「御意!」 郭淮は、東西の山に軍を潜ませ、山頂から突撃するよう廖化を挟み撃ちさせた。郭淮は、そのことを洛陽に報告をしたが、軍勢の分散を懸念した明帝曹叡は、 「むむ、それはまずいかもしれぬ。郭淮に告げよ、別働隊は少人数をまた分けるため、戦力が劣る。分断した軍は招集し、要地を守らせるのだ」 と勅命を下した。 曹叡の勅命が届かないうちに、魏軍と廖化の軍は、戦となった。 「廖化殿、敵軍は、山に潜み突撃してくる見込みです」 「馬泰、そうか。ならば、裏をかいて、我らが東手の游奕軍を横撃する」 「熊、曜、隠密に山の上に部隊を率い、合図で攻撃を開始する」 「御意」 「そうこなくっちゃ」  熊と曜も、意気揚々と出陣した。共に出陣していた羅憲は、廖化の軍から戦のノウハウを吸収し、一部隊を率いるとこまで成長していた。 「羅憲、お主は、西の動きを注視し、弓兵で応戦してくれ」 「御意」 廖化軍は、素早く攻撃に取り掛かり、あっという間に游奕軍を取り囲んだ。游奕は、廖化軍の進軍の合図を聞き、 「し、しまった!」  と、焦ったが、後の祭りであった。曹叡の詔勅が届かないうちに、廖化は游奕軍を撃破し、王贇は、羅憲と甘櫰軍の攻撃で、流れ矢に当たり戦死した。  魏軍の守備も崩壊し、郭淮は、本陣を動かし、蜀軍と対峙した。廖化、張翼、王平、句扶の軍に囲まれ、郭淮は、圧倒的不利となった。 「蜀め、廖化だけならばまだしも、王平などに攻められたら、こちらの被害が大きい」  と言い、守備陣形を取り、攻めを防ぎながら撤退した。 「郭淮め、逃げ足の速い奴よ。守備も手練れている」 「やはり、四将まとめて攻められれば、軍は崩壊するからな」  魏軍を深追いせず、宕蕈と周辺領地を獲得し、隴西を攻める足掛かりとした。  二三九年一月、魏では一大事件が起こった。明帝曹叡が崩御したのだった。 大将軍曹爽は司馬懿と共に、後継者の曹芳の補佐役となった。しかし、両者は、犬猿の仲であり、お互いを牽制しあったため、魏の軍事命令系統が混迷していた。  魏の国政が揺れていた頃、蜀では一年半ほど軍を休ませ、兵糧を蓄えた後、二四〇年には、姜維が漢中から魏へ攻める事を進言した。その折、羌族の迷当大王も盟約を交わし、従軍するように説得した。迷当大王は二万の軍勢を率い漢中へ入った。  蜀では、呉懿が死去の後、後任として漢中方面の守備を王平が任された。安漢侯に封じられ、漢中の軍事・行政を一任されていた。  廖化は、王平等と漢中におり、句扶や張翼と共に魏軍戦に参加するため、準備をしていた。 「また、戦になるな。腕が鳴る」   句扶が話すと、張翼は、いつもの冷静さを保ち、 「目の前に来た敵を討つ、それだけだ」  と言った。  廖化も、配下と共に準備をし、張翼等二将と共に、作戦を練った。姜維に呼ばれ、将軍達は、陣営に集まり、軍議を開いた。 「この集会に来てくれた皆の者に感謝する。我蜀軍は、この一年間休息し蓄えを保持したと言え、魏軍より手勢が少なく、兵糧運搬が何よりの難題である。であるからして、魏への侵攻を成功させるには、何としても、涼州方面の西側からの支援が必要であるのだ」  姜維が言うと、張翼、句扶等は頷いて答えた。 「それは、了解しております」 「この度の戦は、羌の迷当大王が従軍してくれる。西方の隴西を攻め獲り涼州攻略の足掛かりとする」 「御意」  
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