第五話 将軍夏侯覇

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 廖化が、夏侯覇に向かって叫んだ。 「夏侯覇よ、かなり武に長けていると見える。しかし、もうお主の挑発になど乗らない」 「お主、廖化か!凡庸の老骨めが」 「ほざけ」 「司馬懿殿が言っておったわ。蜀は、武に長ける武将が居らず、廖化を先鋒にするしかないと。笑わせる」  廖化は、その話を聞き、顔を赤くし怒りをこらえた。張翼も、今にも夏侯覇に斬りかかろうと進む格好をしたが、廖化が止めた。 「夏侯覇、確かに俺は武も秀でておらぬし、智謀も軍師に及ばず。軍の統率の人並みである」  夏侯覇は、大笑いし、 「無能の将だと認めたか」 「だが、魏軍よ、言っておく。我々蜀は、一人一人小粒ではあるが、皇帝を敬い、仲間を信頼し、団結して当たっていくのだ。万武不当の武将でも、束になってかかれば、勝ち目はある。夏侯覇よ、我々は、団結で問題を解決する集団だ、誰も武を誇示しない。それを理解したなら、去るが良い」 「ふん、腑抜けが、雑魚はいつでも相手になってやる」  夏侯覇と兵団は、後陣へと去っていった。また、魏軍は物資補給のために、氐族や羌族を動員していたが、険しい地形と蜀軍に阻まれて、大軍を維持するための補給が滞ってしまった。 さらに、魏軍が足止めを食らっている合間に涪城から蜀軍、成都から大将軍費禕の軍が到着した。蜀の陣はより強固なものとなり、長期戦になった。 司馬懿の子司馬昭は、長期戦となった状況の危険性を指摘し、夏侯玄に撤退を進言した。 「夏侯玄殿、このまま進めば、兵糧は少なく、我が軍が壊滅します。蜀へ攻めるのは、道が険しく、長期戦は不可欠。ここは、一度引きましょう」 「ぐぬぬ、蜀め、大した将も居らず、諸葛亮も死に人材は口渇しているはずだと言うのに、口惜しい」  五月、魏は攻めきれぬまま、曹爽は退却を決心した。魏軍が軍を纏めたところを費緯は見逃さなかった。 「いまだ、退路を断ち、魏軍に総攻撃を加えるぞ!」  魏軍の退路に陣を布いた蜀軍は、駱谷道の先で打ち合った。魏軍は、進路に配置された蜀軍に挟撃され、大きく損害を出した。曹爽や夏候玄、郭淮は損害を出しながらも退却し、雍州方面へと軍を逃がしたが、夏候覇の軍だけは、殿に軍を配置しただけに蜀の攻撃を喰らい包囲されていた。郭淮は、 「夏侯覇め、言う事を聞かないばかりか、味方を包囲させられおってからに!」  普段より仲が悪い郭淮と夏侯覇は、命令を聞かない夏候覇の態度により、犬猿の仲となっていた。 夏侯覇は、蜀軍の包囲の中、姜維、張翼、廖化の三軍に囲まれていた。夏侯覇の軍二万ほどは、皆、精鋭であり、包囲された今でも臆することなく陣を構えた。 「機を見計らい、蜀軍の包囲を突破する!気を抜くな!」 「御意!」  廖化は、夏候覇の軍の気概に、警戒を強めた。 「熊、曜、夏候覇の軍は、気を見て一気に突破してくる可能性がある、心してかかれ」 「御意」 「わかってるぜ」  姜維の軍が、夏候覇と正面から打ち合った。両軍入り乱れるところを確認し、張翼の軍が動いた。張翼の軍は、横からの攻撃となり、夏候覇の軍に大きく打撃を与えた様子であった。 「む、あれは?」  廖化は、進軍の号令を出すか出さないかという時にかすかに夏侯覇の軍の微妙な動きが見えた。 「か、夏候覇が、張翼軍に向かっていった!」  軍事力で勝る夏候覇の軍は、戦上手である張翼の軍に突撃し、割って入った。張翼は、夏候覇の足止めをしようとしたが、夏候覇の勢いは凄かった、 「張翼か、雑魚は引っ込んでろ」 「夏候覇、ここは通せん!」  将軍同士の打ち合いとなったが、張翼の素早い槍捌きも夏候覇の武力にははじき返され、一気に飛ばされ倒れてしまった。 「弱い、弱いぞ、この夏候覇を囲んだつもりだったか!」 「む、無念……」  張翼の軍の後軍が割れ、一気に、夏侯覇軍が突破した。 「間に合わなかったか!」  廖化は、張翼軍の後ろに回り、壁を作ろうとしたが、先に破られ、夏侯覇は北へと走っていった。 「まて、夏候覇!」  夏候覇は、振り返り、廖化を見下ろすと、 「蜀の凡将達が何人かかってこようと、この、夏候覇には到底及ばん、損失を出したくなければ追ってくるな」  夏侯覇軍は精鋭で、駿馬を保有しているため、逃げ足も速く、夏候玄らが待機する陣営に足早に退却した。 「夏侯覇、恐ろしい相手だ」  かつて、呂布や関羽を思わせる武将の一人であると、廖化は、身震いした。  この戦いで、結果的には魏軍を大きく破った蜀軍は、国境沿いの強化を図った。負傷した句扶は、傷の手当ても空しく、帰らぬ人となり、蜀は、またしても、重要な武将を亡くしてしまった。  魏軍では、曹爽は不快な顔をしていたが、司馬昭が撤退を進言したことが不愉快だったのだ。夏侯覇の独断の行動は、郭淮により進言され、罰を受けた。そのことを、夏候覇はより郭淮に恨みを持つようになり、お互い会議の場でも罵り合う仲になった。 敗戦により曹爽の威厳が弱まり、より司馬懿の進言が強くなりつつあった。魏では、皇帝の側近二強の争いが根深くあり、常にいつ争いが勃発するかという状況にあったため、暫く蜀や呉に攻め入ることができなかった。  蜀軍は、この度の戦いで、費緯は成郷侯に封じられ、軍事や政務を握るようになった。姜維も、恩賞を与えられ、漢中より北方面の軍事を取り仕切る人物となり、功績一番の王平は、名声が大いに高まり北将王平と称された。  姜維や王平は漢中に留まり、次の北伐を狙っていた。廖化は、成都や漢中、西の異民族の領内など流浪して軍事関係を取り仕切る武官の支援をして数年がたった。
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