第六話 司馬懿の魏掌握

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 二五三年、蜀では、大きな事件が起きた。 正月に、漢寿で設けられた酒宴の際の出来事であった。酒宴には、蜀軍のそうそうたる武官・文官が列席しており、大いに盛り上がっていた。費緯を始め、姜維や廖化もその中にいた。 「この正月は、蜀漢の興隆を祝うものである、皆、大いに酒を飲もう!」 「おお!」  大将軍、費緯の掛け声により、諸侯は盃を酌み交わした。  廖化は、文官郤正と譙周が隣の席となり、国のその後について、論じていた。 「郤正よ、この度は、費大将軍が兵をあまり与えず、北伐を最小限にしたことこそ、国が疲弊せずに済んだのだ」 「そのとうりである。国は、安定してこその戦であろう。廖化殿は、どう思う?」 「お二人のような、有能な文官がいてこその蜀である。民が豊かで安心できることこそ、漢帝国の長く存在し続けることができると言えよう」  廖化も、北伐は先代丞相の悲願だとはいえ、大いに国を疲弊させている元凶だという事に気づいていた。姜維は、その事を知っているのか知らずか、北伐強硬論を唱えている。国は、政治と軍のバランスが大切である。今は、張翼と廖化が姜維の腹心として就いているが、国の大事を揺らぐときは、言わざるを得ない時が来るだろう。 盛り上がった宴席の中、諸侯は、入り混じって話に花を咲かせていた。普段は難しい顔をしている、姜維や夏候覇も酔った勢いで楽しそうであった。 その中に、昨年末に、魏より投降してきた、郭循という将がいた。文武に秀でており、北伐の際、姜維が捕らえて配下に置いた。 宴席では、姜維が費緯の近くに座し、その隣に郭循が配置されていた。彼は、真面目で忠実であったが、実のところ、皇帝劉禅を亡き者にしようとした刺客であった。 漢寿は、成都と漢中の間に位置しており、彼は、姜維に従軍していたため成都に行くこともできずにいたが、国内でも最高実権を持つ費緯が近くに居るという絶好の機会に恵まれた。噂によれば、劉禅は、臣下の傀儡に過ぎず愚鈍で、毎日遊び惚けていると。 「費緯を殺るしかない……」  郭循の考えは的を得ていた。夏候覇が降っても忠義を寄せているように、蜀には他国から流れてくる者も多かったため、魏からの降将を近くに置くという、警戒を緩む行為は当たり前のように行われており、特に費緯は注意をしておくべきであった。かなり酒が入った宴席の中、郭循は、費緯の胸目掛け、剣を突き立てた。 「覚悟!賊の頭め!」  周囲は、何事かと騒めいた。その出来事を理解する時には、費緯は絶命しており、姜維と夏候覇で郭循を斬り捨てたが、惨劇を残したままであった。宴席は、解散となり、不吉なものとなってしまった。過去に預言者が、 『都に宰相の位が見当たらぬ』  という占断を受けており、成都から出ていたが、予言は費緯が死ぬことを指していたのだった。  蜀の四相と言われる存在の死は、諸侯の心の支えを失うほどの打撃であった。軍政の総指揮官が不在となったため、蜀は混乱を極めた。費緯の後釜には、陳祇(ちんし)が劉禅を補佐する地位に就いた。政治を陳祇が、軍事を姜維が取り仕切るという事になり、姜維の権限は、より強固なものとなった。陳祇も北伐容認派であったため、この年から数年、姜維は、大軍を率い、魏に北伐を繰り返すことになる。  陳祇と共に、政務に関して台頭してきた、黄皓という宦官がいた。黄皓は、初め熱心に政務をとり劉禅を補佐していたが、姜維の北伐で留守の間に、成都を支配し、自分の繋がりのある臣下のみを使い、官職を賄賂で売るなど汚職に手を染めていった。これらの汚職を陳祇は見抜けず、蜀を腐らせていく原因となった。また、張嶷を始め、この数年で、忠義ある重臣が亡くなり、蜀は人材不足に拍車がかかっていた。  北伐を何度行ったことだろう、魏に戦いを挑むが、司馬懿中央政権の政治と軍事の安定さと、智将鄧艾の防衛により、負け戦が続いた。廖化、張翼、故済等、姜維の腹臣達も傷だらけで疲弊していった。      
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