第一話 水師の表と第一次北伐

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 廖化は、早馬で馬謖の行きそうな所へ向け、走った。馬泰は、行く先は知らないと言ったが、廖化は察しがついた。 「馬泰よ、弟は、自分の故郷を目指すのではないか?兄達に、この度の戦の敗退の詫びを入れようとしているのでは?」 「それもあるかもしれないな、兄弟の中でも、一番気持ちの小さな者が幼常であった」  馬泰は、涙を浮かべながら、語った。廖化は、漢中から、上庸へと抜ける西城付近を捜索すると、馬謖が民家から見つかった。馬謖は、ボロボロの衣類と、疲労と精神不安定となって、うつろな目をしていた。 「帰ろう、馬謖よ」  廖化が声をかけると、号泣して廖化に抱きついた。馬謖は護送され、漢中の城内へと運ばれた。軍議の前に召し出され、諸葛亮の目の前に縛られた姿で座らされた。 「丞相…… 俺は、俺は……」 「馬謖、この度の戦で負けたことは、蜀の未来をついえたと言える敗退なのだ。その責任の重さは理解したか」 「ぎ、御意……」 「馬謖を、死罪とする……」  諸葛亮は、小さく言った。蒋琬等は、将来有望な人材だと諫めたが、決意は固かった。馬謖は、最後に、 「丞相は、私を子のように接し、私も父同様に思っておりました。この御恩は、死してもわすれませぬ」  諸葛亮も泣きながら、剣を持ち、自ら処刑した。馬謖は、享年三十八歳。『泣いて馬謖を斬る』の故事を残す悲劇であった。  廖化は、馬謖の亡骸を丁重に葬った。馬泰は、馬氏唯一の生き残りとなったことに、涙を流した。廖化は、馬景と馬噡との幼少時代に遊んだことを思い浮かべて涙した。 「伯常、仲常。人生とは、思うようにいかないものだな。お主等の弟、幼常は、才を持ったがそれを活かせなかった」  廖化は、手を合わせ、必ずしも力や才がある者だけが生き残ると言う事ではなく、どこかで失敗すれば、梯子を落とされるという事を思い知らされた。    その年、二二九年に趙雲が死去。諸葛亮は大いに悲しんだ。趙雲の葬儀は盛大に行われ、最後の五虎将である英雄を追悼した。 趙雲の死に際、 「廖化よ、才能があるゆえ傲り、判断を見誤り潰れていく者を多く見た。飛び抜ける必要は無い、有能であれ。蜀のため、貢献せよ」 「趙雲殿、才能も忠義も信念も人一倍あった英雄は、貴殿の他いませぬ」 「お主は、後に続く者の見本となる。その心を曲げず歩めよ」  と、言葉を残し逝った。廖化は、趙雲の意思を受け継ぎ、漢復興を遂げるため、諸葛亮の剣となるよう決意を固めた。  その後、諸葛亮は、第二次、第三次と北伐を繰り返したが、思うような結果が得られずに終わった。張苞は、戦の傷で破傷風に罹り、その後死去してしまった。関興までも、病で床に臥せ、蜀は、顕著な勇猛な武将の人材不足であり諸葛亮は、頭を抱えていた。  二三一年、諸葛亮は、武将の不足を補うため、涼州名士の姜維を大抜擢した。馬謖のように、側近に就け、軍事と兵法を授けていた。また、今までの北伐の経験から功を奏しなかった食料補給についての困難さを見直し、木牛という道具を発明し、この度の戦から活用することとした。  諸葛亮は、政務や発明に明け暮れ、ほぼ毎日寝ずに過ごした。廖化は、そんな諸葛亮に畏敬の念を抱いていたが、見る見るうちにやつれていくのも伺えた。廖化も、それは見て確認できていたが、諸葛亮の意志の強さで、進言も聞き入れずに周囲も、時期に何も言わなくなっていた。北伐では、廖化は、本陣の守備要因として参軍し、魏軍の郭淮と主に対戦していた。  廖化は、数度の北伐で、郭淮について一つ理解することができたことがあった。手合わせをしたこともあるが、武力も同じ、軍略も基本に忠実で、特別な才能を誇ることも無い。守りには、そこそこ強く、他の武将や兵士には信頼を受けている。大きく目立った者は無いが、何かと戦いにくさがある。廖化にとって、最大の好敵手と読んだ。 「郭淮、彼は、全てにおいて、俺に似ている武将なのだ。だから、戦いにくい」  郭淮も、廖化と同じことを考えていた。今後の戦は、廖化と郭淮の本陣が鍵になると言える。魏は、曹真が急に病に倒れ死んだため、対蜀の軍勢を止められる軍才に長けた司馬懿が大将軍に抜擢され、雍州へと向かった。 第四次北伐の準備を行い、諸葛亮の軍勢五万は、斜谷道から陝西省に出た。この地域は、過疎地帯であったが、祁山があるため、魏を攻める要所となった。祁山から涼州を経由し、長安へ攻める経路を通る諸葛亮の手口を、司馬懿は予測し、魏軍は、山に砦を構えて孔明を待ち受けた。 「報告!魏軍が砦を築き上邽で待ち構ております」  蜀の臣下は、魏軍の早い対応に驚いた。しかし、諸葛亮は、平然とし、 「山の上の砦からならば、我が軍の大軍を拘留はできないだろう。経路を抑え、援軍を待っているにすぎぬ」 司馬懿は曹真の軍を全て取り込んでおり、総勢十万はあった。しかし、食糧難と大軍だけに、統率と身動きが取れない状況にもあった。 「諸葛亮を大いに叩く機会を得た!我ら魏軍の勝利で飾ろう」  司馬懿は、大いに蜀を破る気概であった。
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