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川に投げられた思い
時刻は多分、夕方の五時くらいだろうか。
周りの景色が、ビックリするほどにオレンジで、普段の僕なら多分それがすごく綺麗に見えているから、もしかすると立ち止まって、空の写真でも撮っていたかもしれない。
先輩からのLINEをもらい、その内容を確認した僕は、居ても立っても居られなくて、今先輩が居るという、家からも学校からも、遠くもなければ近くもない、そんな距離感のところにある河川敷の土手に、僕は今走って、向かっていた。
彼女から送られてきたLINEには、短い文章でこう書いてあった。
『今日告白したんだけどさ、ダメだった』
その文章を見て、僕は今走っている。
その文章を見てからの僕は、まるで心と体の中の、音という音が速くなったような気がして、身体中の臓器がそうすべきだと言っているような気がして、そしてその音というか声というか、そういうモノ達に押されるようにして、僕は家から、飛び出していたんだと思う。
けれども飛び出しながら、僕は器用に『今どこにいますか?』と、LINEを彼女に打ち込んだ。
そして今度はその返信に、『河川敷』と書かれていたのだ。
その文書を見て、なんで彼女はわざわざそんな所にいるのだろうとか、多分そんなことを考えながら、なんで今僕は自転車ではなくて、わざわざ走ってそんな所に向かっているのだろうとか、多分そんなことも考えながら、僕は今、きっと彼女が待っているであろう場所に、向かっているのだ。
「先輩...なにやっているんですか...?」
走りに走って辿り着いた場所で、あまりにも分かり易く、制服姿の先輩は、芝生に直接体育座りをしながら、落ち込んでいた。
「あっ...来てくれたんだ...」
「そりゃ...来ますよ、あんなLINEもらったら」
息を切らしながら、汗をかきながら、そして隣に、同じように体育座りをしながら、僕は先輩の言葉にそう応える。
「わざわざ走って来てくれたの?」
「それ今気付きます?」
「なんか汗かいてるな~っとは、思ったけど」
「どこら辺で?」
「君が私に声を掛けたら辺で?」
「それじゃあ最初からじゃないですか」
「フフッ...そうだね」
そう言いながら、先輩はいつもしない様な、静かな笑みを僕に向けた。
こんな風に、いつもLINEでしている様なおどけた会話をしていても、それでも今のこの人が、いつもの様な先輩ではないから、それがお互いに引っかかって、そのせいでどうしても、ぎこちなくなってしまう。
だから僕は、そんなぎこちなさを取りたくて、わざと先輩に言った。
「...振られたんですか?」
「...直球だな」
「遠回しに言ってもしょうがないでしょう...こんなこと」
「...それもそうだね」
そう言うと先輩は、両手を後ろに着いて、そしてオレンジ色の空を見上げながら、言い出した。
「なんかねぇー、もう付き合っている人が居るんだって...だから私の気持ちには応えられないって...そう言われた」
そのあまりにも、綺麗な御断りの理由に、僕はこう言うしかなかった。
「...それはまぁ、しょうがないことなんじゃないんですか。それで先輩と付き合ったら、二股になっちゃうんだし...」
「そうなんだよね...しょうがないことなんだよね...」
「そうですよ、しょうがないことです...」
「...しょうがないことなんだけど...それでもせめて、恋人同士には...なりたかったなぁ...」
その先輩の言葉に、僕は問い返した。
「...それ、本気で言ってます?」
「...本気だよ」
「でもそれって、最後は絶対に幸せにならないじゃないですか」
「そうだね...絶対に幸せにならない。きっとそうなったら、そのうち彼の二股が私にバレて、私はそれを許せなくて、沢山彼を叩いてから彼のそばを離れて、そして三日くらい経ってから、『さようなら』ってLINEで、私から別れを告げるの」
その彼女の妄言にも似た何かに、僕はまた問い返す。
「そんなの...恋愛って言うんですか...?」
「そんなのが...きっと恋愛だよ...」
そう言いながら、上を向いて居た彼女の顔は、彼女の視線は、今度は僕の方を捉えた。
そしてそれが、なんだかとても気恥ずかしくて、僕は彼女から、視線を外した。
「それなら恋愛って...恋って...一体何のためにするんですか...?」
「そんなの...私が聞きたいよ」
そう言いながら、彼女はまた下を向いてしまった。
そして隣の僕もまた、彼女のその言葉に何も言えなくて、そんな彼女に何も言えなくて、それでも、目の前の河川敷の景色はすごく綺麗だったから、僕は彼女と違って、ただただ正面を、見つめていた。
この人は今、恋愛というモノに、ある意味絶望しているのかもしれない。
あの『ロミオとジュリエット』を、ロマンチックな恋物語と言っていた先輩は、今は自分の恋で、それが本物ではないと、そう自覚しているのだろう。
そしてそれは、最初からあの物語をそういう風に見ていなかった僕でさえ、同じことだ。
自分のことを棚に上げて、なにを偉そうに僕は先輩を慰めているのだろう。
自分はそもそも、なにも出来て居ない癖に...。
まったく...シェイクスピアの代表作をマヌケと言った罰が、今になってやって来たのだろうか。
シェイクスピアはきっと、『お前らの方が数段マヌケだ』と、そんな風に言いたいのだろうか。
でも...たしかにその通りだ。
こんな風な形で、自分が想っている人と巡り合えないそんな自分は、本当にマヌケな人間だ。
こんな風に、自分の恋に打ちひしがれているこの人も、本当にマヌケな人間だ。
マヌケが二人、夕暮れの河川敷で、座っている。
そんな風に思っていると、隣に座っていた先輩が、何の前触れもなく、すくっと、立ち上がった。
そんな先輩に、僕も立ち上がって、そして声を掛ける。
「...もういいんですか?」
「...うん、もうだいぶ落ち着いた」
「それは良かったです」
そう僕が言うと、先輩はスカートのポケットから、見たこともない柄のクマタローのストラップを取り出した。
そしてそのクマタローは、なんだかひどく、汚れていた。
「これは?」
「これはね、私があの人から貰った、最初のクマタローなの。図書室で勉強中していたあの人が、いきなり私に『あげる』って、そう言って...それから私も集めるようになったんだ...」
「...そうだったんですね」
「...うん、でも...」
そう言いながら、そして先輩はその場から、力強くそのストラップを握りしめて、そして大きく腕を振って、そしてその動作の終わりに、「もう...いらない...」とそう言って、そのストラップを、川に向かって投げたのだ。
そしてその瞬間、その川に投げられたクマタローを見て、そして先輩はその光景から一刻も早く目を逸らしたそうに、すぐに僕の方に、視線を逃がした。
そのときの表情は、きっと僕が見た中で、今までで一番綺麗で、そして一番、ズルいモノだったのかもしれない。
だから僕は...
「っ!!」
「えっ...?」
それは...
それは違う気がして、なぜだかそれだけは違う気がして、僕はすぐに、その先輩が投げたクマタロー目掛けて、その先輩の、川に投げられた思いのようなモノを目掛けて、走って、走って、走って、そのまま僕は、その川に飛び込んだのだ。
そしてしばらくして、僕はそれを、拾い上げた。
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