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姫の葬儀は厳かに行われた。生まれてくるはずだった子の葬儀も。
一体誰がこんな事態を想像出来ただろうか。つい一カ月前には花嫁姿で、嬉しそうな笑顔を浮かべていた彼女が、見るも無残な姿になってしまうことなど。国民はみな、彼女の死を悼んだ。
しかし悲しみに暮れている暇などなかった。同じような惨殺事件が、王国のあちこちで起こるようになっていたのである。人間の手では到底行えないような殺害方法から、首謀者は魔術を用いていることが判明。ほどなくして、リグレアは全土に指名手配されることとなった。そして後日、神妙な面持ちでジャンが作戦会議室へ入ってきた。
「団長、今度の被害は北の街シュツベリテだそうです。」
「被害人数は」
「……それが…」
セインが問うても、ジャンはなかなか口を開かなかった。そしてしばらく黙ってから、意を決したように口を開いた。
「…シュツベリテは全滅です。街そのものが、崩壊したとのことです。」
途端に会議室がざわめく。シュツベリテは確かに小さな町で人口もそれほど多くはない街だ。だが、その街が全滅するとは。セインは表情を歪めて瞳を閉じた。
「全滅…!?それは本当なのか?」
「現地の確認にあたったのは第13部隊と第8部隊です。第8部隊のナッシュ部隊長から直々に知らせがあったので、間違いありません。おそらくは魔女リグレアによる閃光魔法オーバーフレイム=レイによるものだと思われます」
ジャンの言う閃光魔法とはかつて戦場でセインたちを何度も敵部隊から救ったあの魔法のことである。遠隔魔法でありながら驚異的な破壊力を有する魔法だ。リグレアはその魔法を「オーバーフレイム=レイ」と呼んでいた。理性なき魔女と化したリグレアは、もはや怪物と同じようなものだ。鍛え上げられた騎士団の騎士とて、おそらくは赤子のように打ち負かされてしまうだろう。だからこそ、今の彼女を野放しにしておくわけにはいかない。これ以上被害を拡大させ、関係のない人々を失うわけにはいかないのだ。なんとしてでも、この手で。セインは瞳を開けると、決心したように椅子から立ち上がった。
「…至急、各都市に結界魔法を張ることのできる高等魔術師を配備。王都の人員は必要最低限で構わない」
「しかしそれでは王都の警備が手薄に…」
「それでいいんだ」
ジャンの言葉に、セインはまっすぐに彼らを見つめた。
「リグレアを王都におびき出し…そして討つ。いつまでも野放しにしていては、同じことを繰り返すだけだ。これ以上、無暗に人々を失うわけにはいくまい」
***
漆黒の美しい髪を揺らして、彼女は以前と変わらぬ容姿でそこに立っていた。口元に涼やかな笑みを浮かべて。まるで今までの惨殺のことなど、なかった時のように。
「あら、セイン。お久しぶりね。元気にしているようで、何よりだわ」
黒いロングドレスの裾を少しばかりつまんで優雅に一礼をしてみせるその姿に、セインは目を細めた。まるであの残虐な犯行など全てなかったかのように、優雅で美しく、そしていつもの口調だった。でもそれがかえって恐ろしく、狂気じみている。月明かりが一段と眩しい今夜は、彼女の影を色濃く映し出す。一呼吸置いてから、口を開いた。
「あの小屋で、本を、見つけた。ひどく懐かしい本だった」
「そう」
「あれは、幼い頃に俺が君の誕生日に渡したものだった」
「ええ、とても素敵な本だったわよね。わたし、あの話が大好きだったのよ」
リグレアはクスリと笑うと、瞳を閉じて風になびく髪を抑えた。
「男の子と、女の子のお話。ある男の子をずっと思い続けていた女の子の夢が、最後には叶うの。どんな苦難も乗り越えて、その男の子と愛をつかむのよ。とても可愛らしいお話で、わたしとても好きだった。可愛らしくて純粋で、まっすぐで、愛があって。最後には幸せになれる。ふふ、可愛いわよね。………でも、もうそのお話は嫌いになってしまったわ」
一段と強い風が吹き、雲が流れる。まばゆい月の光が雲によって遮られ、視界が暗くなった。リグレアの表情は分からない。ただ、それでも彼女はその話を続けた。
「だって、どんなに思っても、どんなに愛しても、手に入らないんだもの。気味悪がって私を捨てた父さまと母さまと一緒。その男の子も、結局はわたしのこと、愛してくれなかったもの。…だからね、わたしはもうあのお話が大っっっっ嫌いなの。結局はわたしはまるで邪魔者、この世界に必要ないミスキャスティング。わたしのこと大事にしてくれる人も、思ってくれる人も、愛してくれる人も、誰もいない……貴方だってそう。小さい頃にずっと一緒にいようって言ってくれたのに、あの女のもとに行ってしまった…嘘つきよ。みんなそう。わたしのこと大魔女なんて呼んでおきながら、心のどこかではわたしのこと気味悪がってた。分かっていたわ。だから王宮の魔導師になんてなりたくなんてなかったの!……でもね、セイン。貴方が言ってくれた。待ってて、って。僕もすぐに君の傍に行くからって。あの時ね、わたし、死ぬほど嬉しかったのよ」
泣きそうな、でも愛しそうに、過去を懐かしんで笑う彼女はスッと目を細めた。
「でも……貴方は結局裏切った。わたしのことなど気にも留めず、あの女に惚れ、愛し、抱き、子まで作った。ずっとそばにいると約束してくれたのに、嘘つきじゃない。わたしはずっとあの女が邪魔だった、消したかった。何もしなくても愛され、大切にされるあの女を殺したかった!!!!!セインはわたしのものにならなかった、あの女のものになった…だから思ったの。あの女も、身ごもった子供も、みんな殺してしまえばいいって。セインが手に入らないのなら、こんな世界ごと、なくなってしまえばいいんだって」
少しずつ陰っていた月の光が戻ってくる。雲の切れ間から差し込んだ一筋の光が、うつむいたリグレアの口元を怪しげに照らし出す。
「そのためには、沢山の力が必要だった。わたし、沢山の魔力を持っていると思われているけれど、体は人間のままだから、力を使うには限界があるの。だからね、もっともっと力をたくわえなくてはならなかった。だから沢山殺して、沢山魔力を貰ったわ。沢山の心臓を貰って…だからねセイン。わたし今、凄く元気なのよ」
ふふふ、と面白そうにリグレアが笑う。昔、彼女の誕生日の日、あの絵本をプレゼントした時のあの笑顔と同じように、可憐に、可愛らしく。でももう、今の彼女はあの時の純粋な少女ではない。
「関係のない人々を殺して、それで自分の力にしていたというのか」
「ええ、そうよ。だってあのひとたちは今まで私の結界魔法や遠隔魔法のおかげで敵国の侵略から生き延びてきたんじゃない。今まで守ってあげていたんだもの、これぐらい安いものだと思って欲しいわ。でもね、心臓だけじゃ物足りなくて…あ、ねぇ、知ってる?セイン。皮膚って焼くとパリパリしていて美味しいのよ。眼球もね、プチっとしていて新鮮で凄く美味しいの。それから…ああそう、小腸!スープにして煮込むととても美味しいのよ。今度セインにも作ってあげたいぐらい…!」
ああ、もう彼女は。
セインの頬を一筋の涙がつたった。
壊れてしまったのだ、彼女は。…否、壊してしまったのだ自分が。
けなげに自分を愛し、想っていてくれた彼女を裏切り、その結果、姫も子も死に、関係のない人々まで亡くなってしまった。彼女はいつだって偉大な魔女だった。その力で国と、自分を守ってくれていた。でも、いつだって愛に飢えていたのだ。幼い頃に両親に捨てられ、一緒に育ってきた。その彼女から離れるということはつまり、彼女の存在そのものを否定してしまうようなものだったのだ。彼女は魔女ではない「一人の弱い人間」だった。そのことに気付かなかった。気付けなかった。その悲劇が、彼女を本当の「魔女」に仕立ててしまったのである。人間を捨てた本物の魔女は怪物となり、人々を襲ったのだ。
「…………すまない」
リグレアはセインの口から転がり出た謝罪の言葉に、目を見開き、そしてグッと唇を噛みしめた。
「………なぜ、なぜ謝るの…なぜ貴方が謝るの…!違うわ、わたしは間違ったことなんてしていない…わたしは魔女よ!だってみんながそう言ったじゃない!!!出来ないことなんてない、この手で今まで、この国を、人々を、好きでもないあの女を、大切な貴方を!!守ってきたじゃやない!!!!間違ったことなんてしてない!これは魔女であるわたしは行ってもいいことなのよ、だって、それだけのことしてきたじゃない…!魔女!わたしは魔女よ!!大魔女リグレアなのよ!!!!」
「違う。俺の知っているリグレアは笑顔の可愛い女の子だった。……少し意地っ張りで、でも優しくて思いやりがあって、いつだって味方でいてくれた…ただの女の子だった」
「黙れ!!!!!」
風が刃になったかのような鋭い斬撃が頬を掠める。切れた頬からはゆっくりと真っ赤な血が滴り落ちて行く。リグレアは表情を歪ませ、荒々しく呼吸を繰り返している。雲はもう完全になくなったのか、ぽっかりと空に浮かんだ月の明かりだけが静かに二人を照らしていく。
「わたしは!大魔女リグレア!この世界はもういらない…いらないのよ!だから終りにするの、貴方も一緒に!全部!!!」
魔力が彼女の体に集まっているのが嫌でも分かる。純粋な魔力とは違う、邪悪で、とても悲しい、黒い黒い魔術。遥か昔、その力で世界を滅亡させたとされる破滅の魔法「黒の魔術」。彼女はもう、その力まで手に入れてしまったのだ。
彼女はもう望まないのだろう。
ハッピーエンドなど、そんなものただの虚像にすぎないのだと、絶望したのだろう。
そうさせてしまったのは他の誰でもない「俺自身」だ。
純粋にひたむきに思ってくれていた彼女の気持ちを踏みにじり、関係のない人たちまで大勢巻き込んでしまった。愛した姫やこの世界に生まれてくることすら叶わなかった、彼女との子も。決着をつけなくてはならない。何があっても、何をしたとしても。
「リグレア、」
彼女がこの世界に滅べと願うのなら、それを止めるのが使命だ。
……ただ。ただ。
この哀れな少女を止めなくてはならない。
これ以上彼女を苦しませてはいけない。
赤黒く燃え盛るようなその魔力の固まりに向かって、セインは剣を構えた。魔女の赤い瞳が憎らしげに男を見つめる。射ぬかれるような瞳を、ただ真っ直ぐに見つめ返し、静かに呼吸を整える。
「―…もうこんなこと終わりにしよう、リグレア。僕を憎んでいい、恨んでいい。だからこれ以上、君自身のことを傷つけるのはやめてくれ。例え業火の炎に焼かれ、修羅の道に進むとなっても、今度は僕が君の傍にいよう。今まで、君が僕を守ってくれたように。今度は僕が、共に苦しみから守るから」
リグレアの目が、僅かに見開かれた。
「さよならだ、リグレア。共に、消えよう」
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