第十話 わたしたちのしあわせ

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 辰美が新居に越したのは九月に入ってすぐのことだった。  本当はもうすこしを早く引っ越すことも出来たが、暑さのことを考えて少しでもマシになっているであろう九月にした。  だが、正直大差はない。年々暑さが増しつつあるからか、九月に入っても気温の高さも蒸し暑さも変わらなかった。  引っ越し当日、辰美はなによりも先にエアコンの設置をお願いした。エアコンは以前使っていたものを持ってきた。流石に家具を買い替えると出費が凄まじく、使える電化製品だけは残すことにした。  以前使用していたエアコンは元々リビングに置いていたもので、一人暮らしの部屋なら十分冷やすことが可能だ。  引っ越し業者が荷物を運び込む間、辰美は美夜と一緒に部屋の中で手持ち無沙汰に佇んだ。荷物が運び込まれた後は怒涛に忙しいが、それまではなんだか落ち着かない。 「私達も手伝った方がいいでしょうか?」 「いや……全部お願いしてるし、任せよう。逆に気を遣わせると思うから」  美夜と一緒に選んだ家具は数日前運び込まれ、配置も決められている。だから後は細かいものを振り分けていくだけだ。  一つ目のダンボール陣が運び込まれると、早速荷解きに取り掛かった。  辰美はキッチン周りの荷物を美夜に任せ、自分は仕事で使う書類が入った段ボールを開けた。  できるだけ荷物は少なくしたが、それでもある程度はある。  部屋は1LDKを借りているので余裕はあるが、調子に乗って詰め込んでいると後が大変だ。  書類が入ったファイルを本棚に入れ、一旦キッチンの方を見に行った。美夜は引き続き荷物を片してくれているようだ。  食器類もほとんど新調した。使っていたものは全て捨て、料理をしない人間でも使えそうな使い勝手のいいものを揃えた。一応、二人分買ってある。誰かがここで食事することもきっとあるだろう。  美夜は段ボールから出した新しい食器を白いダイニングテーブルに並べ、交互に食器棚を見ている。どこにしまおうか迷っているのかもしれない。 「どこでも大丈夫だよ」 「あ……すみません。悩みすぎですよね」 「俺はたまにしか自炊しないからそんなに気にしなくていいよ。引っ越し屋さんももう作業が終わるみたいだから、一旦休憩しようか」  それから少しして、ようやく最後の荷物が部屋に届いた。  クーラーをガンガンにつけているおかげで暑さは感じないが、外と中を行き来している引っ越し業者のスタッフは汗だくだ。辰美は忍びなくなってペットボトルの飲み物を渡した。  とりあえず、後は荷解きしていくだけだ。ただその前に腹ごしらえしなくては。  昨夜のうちに買っておいた食事を冷蔵庫から取り出し、以前より半分以下の大きさになったテーブルの上に並べる。小さいかもしれないと心配していたが、意外と使いやすそうだ。  出来合いの食事ばかりで申し訳ないが、引っ越しで疲れて料理するどころではない。これで正解だった。  二人でテーブルにつき、食事を始めた。部屋も家具も以前とは違う。なんだか清々しい気分だ。 「すみません。色々用意していただいて」 「手伝ってもらってるんだから、これぐらい当然だよ」  買って来た惣菜の包みを開ける。色とりどりの食事でテーブルの上が賑やかになった。 「あの……辰美さんは私のこと、誰かに話したりしましたか?」 「え?」  突然そんなことを言われたものだから、辰美は驚いて箸を止めた。美夜の言葉の意図が分からなかった。 「いや……言ってないよ。喋るって言っても職場の人ぐらいしか言う人はいないんだけど。うちは両親が他界してるから……。どうかしたのか?」  美夜はなんだか暗い顔だ。やがて「なんでもないです」と笑顔を浮かべて、なにごともなかったように誤魔化した。 「何か悩んでいるならちゃんと言ってくれ。俺は君に暗い顔させたくて一緒にいるわけじゃない」  美夜はまだ悩んでいるようだったが、少しして、顔を上げた。 「実は、友達に辰美さんのことを言ったんですけど……その、歳上で驚かれてしまって」  そこからの言葉はなんとなく予想がついた。  美夜ぐらいの年頃の友達なら、こんな歳上は選ばないだろう。せいぜい、三十代が限界だ。きっと反対されたに違いない。  ────もしかしたら、美夜は俺と別れたいと思っているのだろうか。  だが、だとしても止めることはできない。その時はよく見えても後から冷静に考えれば優良物件でないことがわかるだろう。十八も歳上なのだ。  辰美が黙ると、暗い顔をしていた美夜が訝しげな顔をして顔を近づけた。 「ひょっとして、私が別れるつもりかもって思いました?」  図星だ。 「そんなわけないじゃないですか! 私は……そんなつもりで告白したんじゃありません!」  ものすごい剣幕だ。どうやら、別れたいというのは辰美の妄想の中だけの話らしい。 「けど、君は友達に反対されて不安になったんだろう?」 「私が不安になったのは、辰美さんも同じこと言われてないか気になったからです」 「俺が?」 「だって……辰美さんの横に立つとなんだか子供っぽく見える気がして」 「それは俺を買い被りすぎだよ。君は若くて綺麗じゃないか。俺に引け目を感じる必要なんてこれっぽっちもない」 「辰美さんは格好いいんです。もうちょっと自覚してください」  怒っているんだか褒められているんだか分からない。有野といい美夜といい、四十過ぎの男を捕まえて何を言うつもりだろう。評価してもらえるのは嬉しいがなんだかこそばゆい。 「ありがとう。君にそう言ってもらえるならもう少し自信を持っても良さそうだな」 「辰美さん、今度私のバイト先に遊びに来てください」 「ああ、例のカフェか?」 「友達、私のバイト仲間なんです。辰美さん見せて二度とおじさんなんて言わせないんだから」 「いやいや、俺はおじさんだよ」 「おじさんじゃありません!」  その後楽しい押し問答はしばらく続いた。
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