序章

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序章

 この地では、年の初め、長が人々に昔語りをする風習があった。  日が昇ると早々に、人々は長の屋敷の一角に集まる。子どもは聞きやすいよう前に陣取り、暗唱できるほど聞き込んだ大人たちが後ろで見守っていた。 「これは、我が一族にまつわる古い話だ。今年もこの地が平穏であるように、願いを込めて話すとしよう」  そう言い置いた長は、芝居めいた口調で語り始めた。 ***  昔々の話である。  海沿いの村に一人の青年がいた。村長の家に生まれた彼は、年老いた父母、それに兄夫婦と暮らしていた。  ある朝、彼は漁をするため家を出た。自前の小舟に乗り、慣れた手つきで釣り具の糸を垂らす。幾らか経った頃、ようやくの手応えに竿(さお)を引いた。釣り上がったのはなんと五色(ごしき)の亀である。元々、無用な殺生は好まない青年だ。すぐに亀から針を外すと、海に返そうとした。  と、その時だ。なんと亀が、美女に姿を変えたではないか。彼女は、自分が仙女であることを明かし、心優しい青年にお礼をしたいと告げてきた。青年は夢見心地のまま、彼女と共に海原を進んだ。眼前に滝のようなものが現れると、舟はその割れ目に吸い込まれていく。  気がつくと、青年は再び穏やかな海を揺蕩(たゆた)っていた。隣には、仙女が平然と座っている。やがて現れたのは蓬莱(ほうらい)という島だ。蓬莱とは理想郷の一つで、仙女のような者が暮らす場所だという。  屋敷に辿り着くや、御馳走が用意された。仙女から酌をしてもらい、青年は何もかも忘れて、夜が更けるまで大いに楽しんだ。  長い間、二人は仲睦まじく過ごした。しかし、いつの頃からか、彼は残してきた家族を思い出すことが増えていった。青年が憂いを打ち明けると、仙女は悲しみながらも彼の帰郷を受け入れてくれた。
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