序章

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 二人は、あの日島に降り立った場所へ向かった。波打ち際には、変わらずに舟が泊まっている。帰る道筋を示した仙女は、別れ際、青年に漆塗りの小箱を手渡した。これは自分たちを繋ぐ物。けれど、決して開けてはいけない、と注意を添えて。  かつて仙女と辿った道を、今度は一人で引き返していく。  人の世に戻るや、舟から飛び降りて早々に村へと駆ける。ところが、そこには、誰一人知った人間がいなかった。困惑していると、母親と思しき女性が目に映った。だが、声をかけた青年に、女性は眉を(ひそ)めてくる。青年が慌てて名を口にすると、彼女は驚いた顔をした。その男は、百年も前に行方不明になったきりだというのだ。そう、蓬莱で過ごしていた間、青年の時間は止まっていたのである。涙を流す彼に、女性は告げた。自分に母御の面影があるのは血の繋がりがあるからだと。彼女は兄夫婦の子孫だった。  女性に乞われて、青年は蓬莱や仙女のことを語って聞かせた。これに、周りの村人たちもが、仙女との縁を得たことを喜んだ。  それから、兄夫婦の子孫の家で暮らすことになった青年は、やがて新しく村の長になった。彼は仙女から渡された箱を開けることなく、家族と仙女への悔恨の情を秘めながら寿命を全うした。 『浦一族来歴の記録 浦嶋子(うらしまこ)蓬莱伝説 より(抜粋)』 *** 「仙女の名は、乙姫(おとひめ)様。蓬莱と乙姫様には、常に敬意をもつように。そうすれば、この地に凶事が迫った時、必ずやお力を貸してくださる」  長は最後にそう締めくくった。  秘められた伝説は、時を越えて人々を翻弄していく。  そして、室町が国の中心であった頃、ある若者たちが伝説に連なる運命を変えようとしていた。
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