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一章 暁の町にて紡ぐ
琴がこの町に足を踏み入れたのは、十二歳の冬のことだった。
寒さをしのぐため麻の小袖を二枚重ねており、一枚目の上から腰辺りを紐で縛って止めている。足元は布を巻いた上に草鞋を履いていた。大した荷物は持っていない。
そんな彼女は目の前に広がる光景に、息を呑んで立ち尽くした。昼間の町には多くの人が行き交い、賑わっている。何軒も並ぶ店からは、活気のある呼び込みの声が響いていて、人々の表情は明るかった。琴はここに来て初めて、自分の育った村が、いかに小さく閉ざされた場所だったかを知った。
やがて、賑やかさに圧倒された少女は目まいを覚える。村から遠くこの地まで、ろくに飲み食いをせずにいたせいもあるだろう。彼女はそのまま、往来にて意識を失った。
次に目を開けた時、少女は板葺きの天井に首を傾げた。頭はぼうっとしているが、とにかく自分の家でないことは分かる。見慣れた家は藁葺きの屋根だったからだ。
では、ここはどこなのだろうか。悠長に考えていると、これまた見知らぬ顔が覗き込んできてぎょっとする。
「父さん、気がついたみたいだよ」
明るい声を上げたのは、琴と変わらぬ年頃の少年だ。下がり気味の目尻が、柔らかい印象を与える。
「大丈夫? どこか痛いところはない?」
言われて、少女はゆっくりと頭を振った。遅れて少年の横にやってきた父親が、琴の額に手を乗せて頷く。
「うん。どうやら熱もないようだ。お嬢さん、起き上がれるかね? 食べられそうなら、まず腹ごしらえをしよう」
「あの……」
当たり前のように食事を振舞おうとする親子に、琴は戸惑いを隠せなかった。この町に来た理由も、自分の名前すらも話していない。にもかかわらず、これほど親切なことに疑問を感じたのだ。
知らず、険しい表情をしていたのかもしれない。父親のほうが、息子と同じ笑顔で言った。
「人相手に商売をしているとね、初対面でも人となりを見極められるようになる。少なくとも、お嬢さんから悪い感じは受けないからね。腹を満たして、それから話を聞くのでも遅くはないと思ったんだよ」
さあおいで、と促されて、琴はおずおずと囲炉裏端へ移動した。空腹だったのは確かで、半分は美味そうな匂いに誘われたのもある。
すでに外は暗いようで、囲炉裏の火だけが、家の中を柔らかく灯していた。目の前に用意された夕餉は、麦と米を混ぜたものと焼き魚、貝の入った汁物で、そのどれもが強張っていた心身を解していく。口の中でほろりとほどける魚の身、温かく磯の香りを感じるすまし汁。久方ぶりの食事は、とても平穏である。
「……美味しい」
ぽつりと呟いた。その瞬間、琴の瞳から涙が溢れ出す。懸命に堪えようとすればするほど、それは止まらずに手で顔を覆った。心配した少年が背をさすってくれる。その様子を見ていた父親は、静かに少女の涙が止まるのを待っていた。
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