~第一章~ 今日から神様!

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~第一章~ 今日から神様!

「結真!!」 あの時初めて、人の死と本当の恐怖に触れた。 母が俺の名前を呼んだことと、間近に迫る大質量の死の記憶だけは鮮明に憶えている。  けたたましいクラクションが鳴り響き、もうどうにもならないのだと子供ながらに悟っていた。 未だかつて感じたことのない衝撃に全身がバラバラになったような感覚。  生温かい鮮やかな赤が妙に現実感を薄めていく。 「にぃ、ちゃん・・・?」 だが痛みはあるが案外大したことはなく、自身を濡らす血が自身のものではないと気付いたのは直後。 横たわる一人の少年が俺を助けるために突き飛ばしてくれたのだと理解した。  ピクリとも動かない彼に駆け寄り、必死に声をかける。 「兄ちゃん・・・ッ! 兄ちゃん!!」 ただその顔だけは決して思い出すことができない。 これだけ鮮明に残る記憶で、まるで意図的に抜け落ちたかのようにそこだけ思い出せないのだ。 「・・・はッ! ・・・はぁ、はぁッ・・・」 何度も何度も見た夢なのに、その度に大量の汗と共に目覚めることになる。 もう何年も経つが悪夢は俺を決して逃がしてはくれない。 ―――またあの夢か・・・。 ―――誰だっけ、あの時に俺を助けてくれたの・・・。 俺、八神結真(ヤガミユウシン)は一人っ子であるため、助けてくれたのは実の兄ではない。  “兄ちゃん”と呼んでいたことから面識のある相手で、かつ親しい間柄であるはずなのに全く思い出すことができないのだ。 もちろん探してみようと思ったことはある。  だが近所で自分と仲のよかったのが誰なのか分からない。 記憶障害なのか、この夢自体が俺が創造し作り上げたものなのか、結局行き詰ってしまう。  そのようなことを考えながら、何の気なしに窓の外を眺めれば、開いたカーテンの間から注ぐ光が部屋を真っ赤に染めていることに気付く。 「ッ、ヤバい遅刻だ!」 約束があったのにすっかり眠ってしまっていた。 急いで甚平に着替え、肩にスマートフォンを挟みながら桃瀬唯(モモセユイ)に連絡する。 「唯? 体調はどう?」 唯とは付き合って一年の彼女であるが、約束の相手ではない。 だがそれでも優先すべきは彼女だった。 『大丈夫だよ。 今日、一緒に夏祭りに行けなくてごめんね』 「いいって、気にしなくて。 何かほしいものがあったら言えよ」 『うん、ありがとう。 今日は麦くんと楽しんで』 中学校三年生の最後の夏休み、本当は唯と夏祭りに行きたいと思っていた。 一ヶ月も前から計画し楽しみにしていたそれを断念せざるを得なくなったのは、唯の体調不良が理由だった。  一週間前、急激に体調を崩し、まだ時間はあるから快復すると言われていたが、結局間に合わなかった。 正直なところ、唯と行けないのであれば夏祭りなんてどうでもいい。  それなのに親友である榊原麦(サカキバラムギ)と行くことになったのは、唯が提案してくれたためだ。  “お土産を楽しみにしているからね”なんて言われたら断ることもできず、現金なことだが今となってしまえば夏祭りを楽しみにしている自分もいる。 何とも複雑な気分だ。 「そろそろ行ってくる」 『うん、行ってらっしゃい』 他愛のない挨拶も唯としていると思えば、嬉しくなってしまうもの。 電話を切ると時間もないため走って待ち合わせの神社へ向かった。 近所ではあるが甚平に草履であれば普段のようには動けない。  人ごみをかき分けるように抜け、息を切らして辿り着いた先には当然のように麦がいる。 頬を膨らませ怒った様子を露わにしているのは、悪いと思いながらも笑ってしまいそうになった。 「遅いよ、結真! 誘っておいて遅刻って酷くない?」 麦が手を腰に当てると、提灯明かりが甚平を青く揺らした。 「悪い! 少し昼寝でもしようとしたら結構時間が経ってて」 「昼寝って・・・ッ! ・・・もう、たくさん眠れた?」 「おう。 めっちゃ眠れた」 麦にも何度も見ている悪夢の話をしたことがある。 頭がよく洞察力の鋭い彼は、俺の様子からもしかして察してくれたのかもしれない。 と、思ったのも束の間、麦はニヤッと口角を僅か持ち上げた。 「本当は電話でイチャイチャしていたんじゃないのー?」 「ば、バレたか・・・! って、んなわけねー! 電話はそりゃあしたけどさ」 「ふーん。 で、唯さんの具合はどう?」 「大丈夫だって。 折角だから唯の分も屋台で買いたいんだけど」 「おっけー。 了解!」 笑顔を見せる麦はもう待たされたことなんて忘れてしまったかのようだ。 まるで子供のように動き回り、チョコバナナを買ってパクついている。 俺とは違って優等生なのに、まるで中身は逆に思えた。 「そういや俺たちって受験生なんだよな」 「そうだね」 「折角神社へ来たんだし、受験のお守りでも買っていかないか?」 当たり前の提案を当たり前にしただけのはずだった。 にもかかわらず、麦は何故か動揺した。 「どうした? そんなに驚いて」 「あぁ、いや・・・。 僕はいいかな」 「ん? ・・・あぁ、高校のレベルを落としたから麦には必要ないか。 悪いな」 麦はもっとレベルの高い高校に行ける実力があるのに、俺と同じ高校を受験することにしている。 勉強なんてどこでもできる、そう言って笑っていたが俺に合わせてくれたことは明白だ。  そんな俺の心境に気付いたのか、麦はおどけたように言う。 「あー、ほら? 僕は結真よりも頭がいいし? だから神様に頼まなくても大丈夫かなって」 「言うじゃないか。 まッ、そりゃあそうだよな。 俺が約束を守るために頑張らないと」 「別に約束じゃないけど・・・。 本当に結真は“約束”っていう言葉が好きだよね」 俺は“約束”が好きだ。 約束を守れば、そこに信頼が築き上がっていく。 もちろん破れば信頼は一瞬にして壊れるが、今まで約束を破ったことは一度もなかった。  守れない約束はしないというのもあるが、それに向かって全力で進むというのもある。 「口癖になっているのかもしれないな。 だけど俺は絶対に守るから」 「僕だって全て守るよ。 とりあえず、僕の分はいいから。 結真だけお守りを買ったら?」 「んー、そうだな・・・。 折角だし唯の分も買っていくか。 じゃあ麦はここで待ってて」 「分かった」 一緒に行ってもよかったはずだった。 少々不可解には感じたが、麦にそう理由付けられれば納得するしかないだろう。 ほんの数分、それで二人分のお守りを買い笑顔で合流する。  鳥居をくぐるまではそう信じて疑わなかった。 ―――何だ、これ・・・ッ!? だが唐突に全身を浮遊感が襲い、視界が揺らいだ瞬間、そんな日常が遠のいていくのを確かに感じた。 今までの日常全てがこの時を境に変わってしまうなんてことは、想像してすらいなかったのだ。
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