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朝の掃除はオトヤの仕事だった。 だがオトヤが成仏した今、その仕事は神職と結真がローテーションで担っている。 朝早くに起きるのは現世では億劫だったが、狭間の世界では苦にならない。
それでも広い神社や階段を掃除するのはかなり大変だ。
「あー、疲れたー!」
一通り仕事を終えると部屋へ戻って一息つく。 この仕事も初めはオトヤのことを思い出し、しんみりしてしまっていたがもう慣れた。
身体に滲む汗を見ればシャワーの一つでも浴びに行きたいところだが、何となくそんな気分になれなかった。 前日の二人との会話がチラチラと頭をかすめる。 考えることが多過ぎる。
「小説の続きでも読もうかな」
それをかき消すように小説を取りページを捲った。
―――この狭間の世界って本当にすることがないんだよな。
―――スマホもないしゲーム機もないしテレビもない。
―――まぁだからこそ、有意義に時間は過ごせるけど!
現世で小説なんてほとんど読んだことがなかった。 狭間の世界には狭間の世界の文化が育まれている。 当たり前だが、舞台が狭間の世界となると現世での物語とは趣が異なるのだ。
しばらくそうして風に当たりながら本を読んでいるとレイが部屋を訪ねてきた。
「ユーシ。 そろそろ次の漂着者が来るって。 ・・・漂着者っていうのか分からないけど」
「ん? そうか、分かった」
「・・・」
「・・・どうした?」
キリのいいところまで小説を読もうと思ったのだが、レイが襖の前から全く動こうとしない。 どうやら何か言いたいことがありそうだ。
「ユーシにとって初めての経験になると思う。 おそらく気を悪くするのは目に見えている。 だから今のうちに言っておくけど、ユーシはユーシの道を進めばいい」
「?」
レイの言葉は意味深で、何を言いたいのか分からない。 それ以上何も言わないのを見て結真は二人で漂着者のいる部屋へと向かった。 そこには既にゼンがいて、先日結真を襲おうとした男が座っていた。 身体は拘束されていて、不機嫌そうにそっぽを向いている。
「貴方は・・・」
男のすぐ斜め後ろにはゼンが待機している。 いつもより緊張感が高めなのは相手が相手だからということだろう。 結真も位置に着くと、いつも以上にレイが近距離に腰を下ろした。
ただの漂着者ではないことはレイから予め聞いていたため、いつものようには扱わないということなのだ。 カオルは普段ゼンがいる位置に座っている。
「ユウシン様。 この男を憶えていらっしゃいますか?」
「あぁ、もちろん」
「この男はユウシン様に危害を加えようとしました。 狭間の世界に存在する我らは現世において執行猶予を与えられたような状態となります。 たとえどんな軽微な罪でも犯すことは許されません。
数日間に渡りカオルと協議した結果、虚無落ちの漂着者として選ぶことになりました」
「そう言えばそんなことを言っていたっけ」
罪を犯せば裁かれる。 それは現世と同じで、実際にレイが害を受けていることからも納得できた。 カオルが付け足すように言葉を加える。
「ユーシ様に実際に危害を加えていたら、問答無用で虚無落ちを決めていました。 ですが今回は被害にあったレイの意思を汲み取り、一度ユーシ様のご意見を伺うことを考えています」
「レイの意思・・・?」
「レイはユーシ様は虚無落ちを望まないであろうと進言したのです。 本人も大した被害は受けておらず、恨んでもいないようです」
レイが自分のことを分かっていてくれているのが少し嬉しかった。 確かに襲われたが、虚無落ちにする必要までは感じていない。
「分かった。 まずは彼のことを聞いてもいいか? ゼンたちは聞いているんだろ?」
ゼンは困った様子を見せていたが小さく頷いた。 おそらくゼンは許すつもりはないのだろうと思った。
「神様に失礼のないようにな」
ゼンが男に釘を刺したところで結真は尋ねた。
「どうして俺を狙ったんですか?」
「・・・」
「狭間の世界でも犯罪が許されないことは知っていましたよね?」
「・・・」
男は口を噤み頑なに答えようとはしない。 このままでは意思疎通すらできず、そうなれば虚無落ちとなってしまうのは明白だった。
「お名前は何ですか?」
「・・・スバルだ」
名前を聞くと答えてくれた。 意思疎通を否定しているというわけではなさそうだ。
「スバルさんの未練は何ですか?」
「俺は神の存在を信じていない。 だから神がいないことを証明するためにここへやってきた」
「・・・? どうして神様の存在を信じていないんですか?」
「・・・」
やはり核心は答えようとしない。 ただ神の存在を信じていないのなら、何故神様である自分を狙ったのかが不思議だった。 幽霊を信じていない人間がお祓いをするようなものだ。
もちろん、そういう人もいるだろう。 もしそうだとすると、その人の思考はどんなものなのかと思う。
「ユウシン様、申し訳ございません。 私とカオルで相手をしても、これ以上は何も答えませんでした」
「そうか・・・」
否定するけど許せない。 それは結真がどこか唯がいなくなった時に感じた感情に似ている気がしたのだ。 神様はいると分かっているのに、自分の望みが叶わなかったあの時と。
だから結真はやはり虚無落ちを認めることはできなかった。
「分かった。 この人は虚無へ落とさなくていい」
その言葉にゼンは驚いた表情を見せる。
「ユウシン様、何を言っておられるのですか?」
「確かに『この世界の人や現世の人を殺したい』とかが未練の悪人を虚無へ落とすのは仕方のないことだと思う。 どうしてもそれは叶えられないし、叶えてあげることもできないから。
だけどスバルさんの場合は違う。 それに彼は喋らないだけで本心はまだ分からないんだ。 現世では黙秘権っていうものがある。
喋らなければ自身が不利になることもあるけど簡単に裁かれることもなくなる」
「ですが」
「俺はスバルさんが根っからの悪人にはどうしても見えないんだ。 俺自身、もっと話を聞いてから判断しても遅くないと思う。 もし事情があるならスバルさんを救いたいんだ」
「申し訳ございませんが、ユウシン様のご命令でもそれでは規律が保たれません」
「俺はこの狭間の世界で一番偉い神様なんだろ? だったらこの世界のやり方は全て俺が決めていいはずだ」
「・・・」
ゼンは何も言えず口を噤んだ。 それは納得はしていないが、結真の意志を尊重してくれるといういつものことでもある。
「もっともそれはただの表向きの話だけどな。 俺は現世では神様でも何でもない、ただの男子中学生なんだ。 だから俺は、神様に対して何を言われても構わない」
ゼンたちは結真の言葉に逆らうことができなかった。
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