第2話 二人し居れば「恵文社」

2/4
前へ
/171ページ
次へ
本日はお日柄もよく、ふと見上げればラムネ色の空がどこまでも続く。桜は散ってしまったけれど、まだまだ春は終わらない。だってね、生まれ変わったようなこの空は、確かに春の色をしているわ。肩まで伸びた黒髪を揺らす風は、琵琶湖疏水からやってきたようにみずみずしいし、耳をすませば、そばを走る叡山電車がガタンコトンと祭囃子のような音を奏でる。きっと心に余裕がなければ気づけない。ありふれた日常がこんなにも、楽しさに満ち溢れているってことに! 4dfe2bce-7a1d-49e3-a0ad-b1642f0b2a10 曼殊院通を西に進むと、左手にレンガ造りのレトロな建物が見えてきた。「けいぶん社」という丸文字が書かれた看板が特徴的だ。店の前には小さな椅子と植木が、かわいらしく並べられている。 恵文社一乗寺店は、京都好きには言わずと知れた有名な本屋だ。おしゃれな外観だけでも目を引くものがあるけれど、それだけでなく、取り扱っている書物が少し特殊でおもしろいから。 普通の本屋なら流行の本、売れる本を置くのが常だろうけれど、ここでは大型書店の物置に入っていそうな本、つまりニッチな書物がたくさん揃っている。併設されているギャラリー「アンフェール」では個性的な文具が置かれているほか、さまざまな個展が開催されているし、「生活館」と呼ばれるフロアでは、衣食住にまつわる書籍だけでなく生活雑貨まで置かれているので、何度行っても飽きることはない。 マンションから徒歩3分くらいの場所にあるため、忙しさに追われた日々の中でも、買い物ついでに立ち寄ることがよくあった。何を買うわけでもないけれど、なんだかよく分からない写真集や、米粒ほどの小さな黒板消しを見て、忘れかけていた子供心をくすぐられるのが心地よかった。この日も、せっかくならちょっと寄っていこうかしら、と、恵文社の扉を開けたのである。 通い慣れたなじみの本屋。立ち寄ったのもただの気まぐれ。それなのにまさか――あんなことに、なるなんて。
/171ページ

最初のコメントを投稿しよう!

90人が本棚に入れています
本棚に追加