第1話 藍崎棗

12/19
前へ
/117ページ
次へ
 昨日と同じように朝霧に連れられ、棗は2階へと移動した。コンクリートの床のあちこちには、赤黒い染みが広がっていた。もしかしたら昨日の血も、この中に紛れているのかもしれない。 「狙いを定めて」  朝霧の低い声が、耳元で鳴る。見えない糸で操られるかのように、棗はゆっくりと、銃をかまえた。  棗から5メートルほど離れたところに、白雪が立っている。昨日のように白い服を着て。棗に殺されるのを、待っている。  ――これは、おもちゃだ。  手の中にある黒い物体を撫で、感触を確かめる。大丈夫。引き金を引いても、白雪は死なない。昨日だって、結局死んでいなかったじゃないか。その証拠に、白雪の顔には1ミリの恐怖も浮かんではいない。  殺して、やる。  殺してやる。殺してやる。自分を裏切った者すべてを、殺してやるんだ。  棗は両眼をぎゅっとつぶり、勢いよく引き金を引いた。  ――ぱぁん!  衝撃で、危うく背中から倒れそうになった。両足に力を入れて、なんとか踏みとどまる。おそるおそる目を開けると、白雪がきょとんと首を傾げていた。 「下手くそ」  隣にいる朝霧が、おかしげに喉を震わせた。どうやら、弾は明後日の方向に飛んでいったらしい。笑われた屈辱感で、かぁっと頬が熱くなった。だが心は、外したことへの安堵で満ちていた。 「じゃあ、もう1回」  朝霧は棗の腕をつかむと、白雪の方へ引っ張った。 「この距離で」 「……ここで?」  そうだよ。そう、朝霧はうなずいた。額がじんわりと汗ばむのを感じた。先ほどとは比べ物にならないくらい、近い。手を伸ばせば、白雪の白い肌に届く距離だ。この距離で外すことはまずない。もう、外すことはできない。  朝霧が、そっと棗の銃に手を添えた。ゆっくりと持ち上げて、白雪の心臓の高さでぴたりととめる。 「今度は外すなよ」  ――私を殺せるのは、紫苑だけだから。  白雪の言葉を思い出した。依存的で、排他的で、縋るような彼女の言葉を。  殺してやる。白雪の背後で、女の影がゆらりと揺れた。長い髪を二つに縛り、無邪気に笑うきれいな女。きれいだけど、醜い女。  殺してやる。殺してやる。殺してやる。 「……殺してやる」  憎しみに急かされて、再び、人差し指に力を込めた。
/117ページ

最初のコメントを投稿しよう!

36人が本棚に入れています
本棚に追加