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昨日と同じように朝霧に連れられ、棗は2階へと移動した。コンクリートの床のあちこちには、赤黒い染みが広がっていた。もしかしたら昨日の血も、この中に紛れているのかもしれない。
「狙いを定めて」
朝霧の低い声が、耳元で鳴る。見えない糸で操られるかのように、棗はゆっくりと、銃をかまえた。
棗から5メートルほど離れたところに、白雪が立っている。昨日のように白い服を着て。棗に殺されるのを、待っている。
――これは、おもちゃだ。
手の中にある黒い物体を撫で、感触を確かめる。大丈夫。引き金を引いても、白雪は死なない。昨日だって、結局死んでいなかったじゃないか。その証拠に、白雪の顔には1ミリの恐怖も浮かんではいない。
殺して、やる。
殺してやる。殺してやる。自分を裏切った者すべてを、殺してやるんだ。
棗は両眼をぎゅっとつぶり、勢いよく引き金を引いた。
――ぱぁん!
衝撃で、危うく背中から倒れそうになった。両足に力を入れて、なんとか踏みとどまる。おそるおそる目を開けると、白雪がきょとんと首を傾げていた。
「下手くそ」
隣にいる朝霧が、おかしげに喉を震わせた。どうやら、弾は明後日の方向に飛んでいったらしい。笑われた屈辱感で、かぁっと頬が熱くなった。だが心は、外したことへの安堵で満ちていた。
「じゃあ、もう1回」
朝霧は棗の腕をつかむと、白雪の方へ引っ張った。
「この距離で」
「……ここで?」
そうだよ。そう、朝霧はうなずいた。額がじんわりと汗ばむのを感じた。先ほどとは比べ物にならないくらい、近い。手を伸ばせば、白雪の白い肌に届く距離だ。この距離で外すことはまずない。もう、外すことはできない。
朝霧が、そっと棗の銃に手を添えた。ゆっくりと持ち上げて、白雪の心臓の高さでぴたりととめる。
「今度は外すなよ」
――私を殺せるのは、紫苑だけだから。
白雪の言葉を思い出した。依存的で、排他的で、縋るような彼女の言葉を。
殺してやる。白雪の背後で、女の影がゆらりと揺れた。長い髪を二つに縛り、無邪気に笑うきれいな女。きれいだけど、醜い女。
殺してやる。殺してやる。殺してやる。
「……殺してやる」
憎しみに急かされて、再び、人差し指に力を込めた。
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