36人が本棚に入れています
本棚に追加
「……あたし、殺したい人がいるの」
隆也が言葉を考える暇もなく、杏璃が低い声で答えた。
「でも、そんな簡単にできることじゃないっていうのはちゃんと分かってる。相手は大人だし、あたしは子供だもん。だから、確実に殺せる方法を教えてほしくてここに来たの」
どんどん加速していくその声が、隆也の心を不安にさせる。すぐそばにある彼女の横顔は、まるで知らない女のように見えた。
「どうやったら確実に殺せるの? ネットの情報なんてあてにならない。だからここに来たの」
朝霧は、何かを見定めるように杏璃をじっと見つめた。
「なるほどね」
そう小さくつぶやいて、ソファの背もたれに背中を預ける。隣に座る小さな人形は、先ほどからぴくりとも動かない。まるで本物の人形のようだ。じっと見つめ続けていると、少女の目がこちらに向いた。どうしたの? と言うように、きょとんと首を傾げる。隆也は慌てて視線を逸らした。
「確実に人を殺すために必要なものは、何だと思う?」
白い天井を見上げながら、朝霧が静かに問いかけた。杏璃は訝しげに眉を寄せ、答えを模索するように黙り込んだ。
「覚悟だよ」
再びこちらを向いた朝霧は、もう笑ってはいなかった。その時初めて、隆也は朝霧の瞳が夜のように暗いことに気がついた。
なんて、無機質な瞳なのだろう。隣の少女の澄んだ瞳とは違う。世界の汚れを知り、人生に絶望し、それでもまだなお生にしがみつこうとする瞳だ。この瞳を、自分は知っている。この世のすべてから逃げ出したくて、それでも命は捨てられなくて、どうしたらいいのか分からずに生きている男。それは、隆也の瞳そのものだった。
「憎い人間を殺す覚悟と、罪を背負って生きていく覚悟だ」
「……覚悟ならある」
杏璃の声が、少し震えた。
「あんな男に家族を壊されるくらいなら、殺したほうがマシよ」
「……そっちのお前は?」
突如話を振られ、隆也の肩がびくりと跳ねた。朝霧と杏璃の視線が自分に突き刺さって痛い。
「……俺は……」
答えを、出さねば。そう思えば思うほど、隆也の体は縮こまった。覚悟って、何だよ。人を殺す覚悟? そんなもの、持ってどうなる。自分は杏璃をとめるためにここに来たのだ。あの時は衝動的に沢木を殺すと宣言してしまったが、今の自分にそんなことができるとは到底思えなかった。
「……分からない」
自分でも情けないな、と思った。耳に響く声は、他人の発したもののように弱々しかった。
「でも、杏璃は殺しちゃだめだ」
「まだそんなこと言ってんの? いい加減にしてよ」
「……だめなんだ」
隆也は祈るように、両手の指を強く絡めた。あきれたのかたじろいだのか、杏璃は苦々しく口をつぐんだ。
最初のコメントを投稿しよう!