第2話 仁科隆也

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「……何でこんなところで、料理なんてしてるんだろ」  キャベツの葉を水で洗いながら、杏璃は長く息を吐いた。外はもう完全な夜になってしまった。一刻も早く帰りたいが、ここまで来て手ぶらで帰るわけにはいかない。 「よく考えたら、あたしひとりでだって沢木くらい殺せるんだ。確実に殺せる自信がなかったからここに来たけど、やろうと思えばいつだって……」 「だめだ」  鍋に火をかけながら、隆也は何度目か分からない単語を口にした。隣では、白雪が不慣れな手つきで玉ねぎを切っている。 「だからさー、何でそんなこと言うの? 殺す覚悟もない腰抜けのくせに。あんたが殺さないからあたしがやるって言ってんのに」 「何か、他に方法があるはずなんだ。弁護士とか、警察とか……」 「そんなの頼りにならない。殺す方が早い」  隆也は何も言わずにため息を吐いた。何を言ったって、今の杏璃にはむだだ。どんなに気持ちを込めたって、どう説得したって、杏璃の心には響かない。杏璃は持っていたキャベツを勢いよくボールの上に落とした。 「このままここにいたって何も変わらない。あたしはどうすればいいの? あたしの家族はどうなるの?」 「杏璃……」  杏璃の声が、どんどんヒステリックになっていく。隆也は思わず動きをとめた。杏璃の表情が強張っている。力を込めた両手がわなわなと震えていた。 「あいつ、本気で殺し方教える気あるの? ほんとは殺し方なんて知らないんじゃないの? だからこんなことさせてるんでしょ。ほんとは人殺したことなんて……」 「紫苑は」  それまで黙っていた白雪が、大きな声で言った。 「……誰よりも人の死を知っています」  隆也と杏璃が見つめても、白雪はふたりと目を合わせなかった。 「生も死も、幸福も絶望も、知っているからこそ、『殺され屋』になったんです。紫苑は絶対に、あなたたちの力になってくれます。……だから、信じてあげてください」 「……どうして、そう言い切れるの?」  杏璃は戸惑ったように白雪を見つめた。 「あんたは、あいつの何なの?」  白雪の動きがぴたりととまった。何の感情も映していなかった青い瞳が、少しだけ揺らいだ。 「……私は、紫苑の……」  隆也は息を潜めて白雪の言葉を待ったが、白雪が続きを言うことはなかった。  そのまま、3人は黙々と夕飯の準備を進めた。杏璃はもう何も不満を言うことはなかった。そういえば、遠い昔もこうして杏璃と料理をしたことがある。杏璃がまだ小学校に入る前の話だ。あの頃まだ自分は気力があって、家に遊びにきた杏璃と一緒にクッキーを焼いた。ふたりの焼いたクッキーを、母親はおいしそうに食べてくれた。  もうあの日々は戻ってこない。  もう二度と母には会えない。  コンソメスープの入った鍋がぐつぐつと煮立って、室温がゆっくりと上昇していく。まだ5月とはいえ少し暑い。白雪は火をとめると、小さなお皿にスープをすくった。 「味見をしてもらえますか?」 「……自分ですればいいじゃない」  杏璃は白雪とスープを交互に見て、嫌そうに答えた。白雪が少し困ったように眉を下げた。 「私にはできないので……」 「え、何それ。どういうこと?」 「お願いします」  杏璃の質問を無視して、白雪がずいっと皿を差し出した。受け取ってやれよ。そう隆也が急かすと、杏璃はしぶしぶ皿を受け取って、スープを飲み干した。 「……しょっぱい」  喉にスープが流れ込んだ途端、杏璃はごほごほと苦しげにむせ込んだ。 「だ、大丈夫か?」  隆也が慌てて背中をさする。杏璃は一通り咳を出し切ったあと、喉をさすりながら顔を上げた。 「あんたいかにも料理できますって顔してるのに、へたなのね」 「杏璃が言うことじゃないよ……」  子供相手に何を言っているのか。杏璃も子供のくせに。白雪がスープをのぞき込んで、ふしぎそうに首を傾げた。 「分量、間違えたのかもしれません」 「どれどれ」  隆也はスプーンでスープをすくい、それを口の中に運んだ。なるほど、確かに少ししょっぱい。塩を入れすぎたのだろう。 「もう少し水を足して、味を整えれば大丈夫だよ」 「あんた、料理できたんだ。引きこもりのくせに」  杏璃が、感心したような、ばかにしたようなことを言った。自分では褒めているつもりなのだろうか。 「おふくろがいない時、たまに作ってたから……ほら、これで大丈夫だよ」 「ありがとう、ございます」  味を整えてやると、白雪は小さな声でお礼を言った。杏璃もこのくらいかわいげがあればいいのに。  そうこうしているうちに、徐々に料理ができあがっていった。最初は乗り気でなかった杏璃も、白雪の言葉で何かを感じたのだろうか、積極的に手伝いをするようになった。子供同士は仲よくなるのが早いものだ。隆也が皿の準備を始める頃には、白雪と杏璃は肩を並べて会話をするようになった。 「ね、あんたの名前、何だっけ」 「白雪です」 「しらゆき」  舌で確かめるように、杏璃が繰り返した。 「お姫様みたいな名前。誰がつけたの?」 「……紫苑が」  そう答える白雪は、少し嬉しそうだ。彼女にとって朝霧は、誰よりも大切な存在なのだろう。まだ彼女たちに出会って3時間あまりしか経っていないが、肌にひしひしと伝わってくる。自分と杏璃よりも、よっぽど家族らしい。 「あたしの名前はね、お母さんがつけてくれたの。杏璃って、有名な女優さんの名前なんだって。お父さんがすきな女優さん」  白雪が興味深げに杏璃の顔を見上げている。 「……あの頃は、仲よかったのに。どうして、こうなっちゃったのかなぁ」  泣き出しそうな杏璃の声が、空気に溶けて消えていく。隆也は何も言えず、杏璃の背中を見守ることしかできなかった。
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