第2話 仁科隆也

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 3階へ戻ってソファに腰かけると、疲れと安堵がどっと肩にのしかかってきた。白い天井をぼんやりと見上げ、つい今し方起こったことを頭に描いた。  撃ってしまった。あんな小さな女の子を。何の罪もない、ひとりの少女を。杏璃は泣いていた。あんなに取り乱した彼女を見るのは初めてかもしれない。  杏璃と白雪は、朝霧に連れられて別室で休んでいる。撃たれた白雪よりも杏璃の方が弱っているように見えた。それもそうか。うなだれている杏璃を想像して、自分の残酷さを自嘲した。生き返ったとはいえ、仲よくなったばかりの人間を目の前で撃たれたのだ。とても正気ではいられまい。それよりも、こうして何のためらいもなく引き金を引いた自分に驚いていた。どうして自分は、あんなことをしたのだろう。 「……本当に死なないんだな」  部屋に入ってきた朝霧に向かってつぶやいた。朝霧は弱い微笑をたたえたまま、隆也の向かい側のソファに腰かけた。 「半信半疑だったけど……生き返ってくれて、ほっとしたよ」 「それでもよく撃ったもんだ。お前、度胸あるよ」 「……杏璃を、とめたかっただけだ」  自分が行動を起こすことで、杏璃が殺意を捨ててくれたら。それだけを願って、引き金を引いた。白雪は死なない。そう、事前に朝霧から伝えられていたものの、不安は直前まで拭えなかった。  もし本当に、白雪が死んでしまったら。そう考えると、今でも震えがとまらない。結局白雪は生き返った。朝霧に「撃て」と言われるまでは、銃はおもちゃだと思っていた。しかしこの手に響いた衝撃も、白雪から溢れた血も、作りものとは思えない。 「あの子、本当に大丈夫?」 「ああ」 「それなら、いいんだけど……。命が1000個あるって、本当か?」 「そうだ」  朝霧はぶっきらぼうに答え、ソファの背にもたれた。命が1000個あると言われても、正直何が何だか分からない。だが実際に白雪は死ななかった。それが、朝霧の言葉が嘘ではない証拠だ。どうしてそうなったのか、朝霧と白雪はどういう関係なのか、興味を持った。だがそこは、決して踏み込んではいけないような気がした。ふたりの間には、絶対に触れてはいけない何かがある。出会ってまだ数時間しか経っていないが、なんとなく、それだけは分かった。 「だから俺は、『殺され屋』をやってる。あいつの命を利用してな」  朝霧はそう言って、隆也から視線を外した。利用、している。その言葉を疑うように、隆也は朝霧をじっと見つめた。ここに来てから、朝霧と白雪は一言も言葉を交わしていない。朝霧は白雪を見ようともしていない。本当に、彼は白雪のことを何とも思っていないのだろうか。本当に、利用しているだけなのだろうか。……いや、きっと、違う。 「あんたは、優しいな」  横顔に映った悲痛な色を見取って、隆也は弱く微笑んだ。朝霧が訝しげに眉をひそめた。 「何?」 「『殺され屋』ってのは、殺し方を教えるんじゃなくて、殺人の意味を理解させて、殺人をとめる仕事なんだな」 「……めでたいやつだな。買いかぶりすぎだ」  朝霧はあきれたように短く息を吐いた。きっと、間違っていない。朝霧は否定するだろうが、彼は彼自身が考えるより、優しい人間なのだ。確かに、白雪を利用しているのかもしれない。だがそれもきっと、何か事情があるのだろう。隆也は両手を強く握り、瞳を閉じた。  人を殺すこと。沢木を、殺すこと。目蓋の裏に、母と杏璃を思い描く。どちらも大切だから、どちらも悲しませたくない。手に残る銃の重みも、引き金を引く瞬間の衝撃も、なかったことになんてできない。だったら、今、自分ができることは、やっぱり一つだ。 「ありがとう、朝霧。でも、ごめん」  隆也は再び目を開けて、ソファから腰を浮かせた。 「このままだと何も解決しないんだ。だから、俺、行くよ」 「……そうかい」  隆也は小さくうなずいて、朝霧の部屋をあとにした。階段を一段下りるたび、覚悟がどんどん硬さを増していく気がした。夜の闇に飲み込まれないよう、強く拳を握って進む。少し前まで、自分に守るものなんて何もなかった。何もできないと思っていた。でも、今は違う。  今を変えることは、引き金を引くよりも、簡単だ。
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