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「……もうすぐ警察が来る。もう言い逃れはできないぞ。母さんのことだって、必ず証拠をつかんで、お前を追い詰めてやるからな」
「まったく、これだから引きこもりのクズは。君がクズだったから、私が君のお母さんを支えてやったんだよ。その恩を仇で返すことに、何の罪悪感も抱かないのかい」
「……確かに、おふくろが死んだのは俺のせいでもある。俺が弱かったから、おふくろの痛みに気づけなかった。気づかないふりをしていた。だけど、だからこそ、今度は杏璃を守りたい。俺の家族を、今度は俺が守るんだ」
「ばかなことを」
沢木は隆也を鼻で笑うと、スーツのポケットからナイフを取り出した。ひっ、と叔母が息を呑んだ。
「どうせ捕まるのなら、せめてこれくらいはしておかないと」
沢木は隆也の方に近づくと、腕を大きく振りかぶった。ひゅん、とナイフが風を切る。ナイフは隆也の頬ギリギリにある空気を引き裂いた。
「隆也!」
「叔母さんは逃げて!」
そう叫びながら、隆也はポケットに潜ませた果物ナイフを取り出した。覚悟はしていた。誰かを傷つけるということは、同時に自分を傷つけるということだ。そう、朝霧が教えてくれた。沢木は笑いながら、再び隆也にナイフを向けた。
「これで、終わりだ!」
こわくはない。ためらいもない。ナイフを握る手に力を込める。隆也は歯を食い縛り、沢木の腹をめがけて、思い切りナイフを突き刺した。
手にぬるり、と生あたたかいものが触れた。ぽたり、と畳の上に血が滴り落ちていく。目の前にいる沢木が苦しげに呻いた。
隆也の手にあるナイフが、沢木の腹を貫いている。隆也が手を離すと、沢木の体がぐらりと揺れ、畳の上にばたりと倒れた。
ああ。これで、すべて終わったのだ。
ふっと気が抜けると、途端に膝ががくりと折れた。視界がぼんやりと曇る。叔母が悲鳴を上げて駆け寄ってきた。
左腕がじんじんと疼く。それが肉を抉られた感覚だと気づいたのは、叔母の泣き顔がかすれてきた頃だった。ああ、そうか。ナイフで貫かれたのは、沢木だけではなかったのだ。
遠くから、パトカーのサイレンが聞こえる。すべてを終わらせる音だ。
「隆也ぁ!」
サイレンに混じって、杏璃の叫び声が聞こえてきた。もしかしたら幻聴なのかもしれない。もう隆也の目は、何も映してはいなかった。
これですべてが終わる。楽になれる。杏璃の幸せを目蓋の裏に描く。次第に、意識が遠のいていった。
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