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 奈菜には出発近くまで黙っていたわ。奈菜の事だから応援してくれるに違いないんだけど変な心配をかけたくなかったって事と私が万が一情に流されてしまうんじゃないかって一抹の不安があったから。そんな事を考えていたら出発前日の夜まで連絡を引っ張ったわ。 「冗談でしょ? そんなの聞いてないわ」って電話の向こうから奈菜の怒り満載の声が聞こえてきてね。夜遅くに電話したからすっかり眠気が吹き飛んだわ。そりゃあ怒って当然だと思った。 「本当よ、明日出発するの」 「……健人君には伝えたの?」  痛い所を突かれちゃってね。健人には伝える気は最初からなかったわ。だって、今の彼に伝えた所で何も状況は変わらないし、無駄に気を遣わせるだけ。それに、これは私の未来への挑戦だったから。思い描いた未来を現実にする為の第一歩よ。  翌朝の目覚めはすこぶる良かったの。新たな旅立ちの一日目に相応しいコンディションだったわね。いつもより遅めに起きて、ゆっくり身支度を始めてね。前日からキャリーバッグに荷物を入れ出した時から、心地よい緊張感に見舞われていた。  空港までは両親が車で送ってくれてね。自宅までわざわざ迎えに来てくれたわ。二人共、いつもより元気がなかったな。顔は強張っていたし、無理に取り繕った笑顔なの。不安そうな顔で一杯だった。  父親の運転で首都高を乗ったくらいの時に車中に、中島みゆきの糸が流れ出したの。歌詞と車の振動が共鳴するように私の心情が揺れ動き出してね。加えて後部座席から見える車窓の無機質な工場地帯の景色が感傷的にさせたわ。 最後に健人に一目会いたかったってね。あれだけ想いを固めたのに、今では健人が恋しくて仕方がなかった。でも会ってしまったら迷いを生みそうで怖かったの。今まで覚悟して決めた進むべき道が揺らぎそうでね。  そんな時に限って、健人からの電話よ。私、電話に出なかった。助手席に座っている母親が「いいの? 電話、出なくて」って振り向いてきてね。頷いてスマホをバッグに閉まったわ。今のは神様の試練だったんだって。神様に試されていたようで怖かったのよ。
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