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 それからの話しはとんとん拍子だった。あっという間に手続きは完了して、最後に理帆が店を訪れた時だった。 「個人的な物なるんですが、お世話させてもらった記念として受け取って下さい」って理帆に置型の時計をあげたんだ。イタリア製の小さな時計だけど、邪魔にならないだろうってね。お世話をさせてもらった客には何か個人的に粗品を送る事を決めていてさ、理帆達には何が良いだろうって考えていたんだ。  勿論、変な下心はこの時にはなかったよ。全くないって言ったら、男として嘘になるけどな。前提は一人の客として邪魔にならず、それでも多少は喜んでくれるもの。結局は自己満足に過ぎないかも知れないけれど、お世話させてもらったっていう俺の拘りなんだよ。  受け取った時の理帆は「男性からプレゼントをもらったの、初めてなんです」なんて嬉しそうに笑ってくれたけれど、初めてって事はないだろうって邪推な考えも湧いてきてさ。もしかして、清純そうに見えて恋愛経験豊富なベテラン女かって構えてたんだ。 「店も近くなので、何かあったら気軽に連絡下さい」  最後に決まり文句を言ってさ、去り際に「ありがとうございます」って頭を下げて駅に向かって歩く理帆の後ろ姿を見送ると、胸の内に大きな穴が空いた様な感覚に陥ったんだ。  何かあったら連絡下さいって言葉にした所で、本当に連絡が来る事ってそうそうないんだよな。今まで仕事をしてきて打率的に十人中、二人くらいが引っ越し後くらいに電気が点かないとか郵便ポストのダイヤル施錠の番号を忘れたって類いの電話がかかってくるくらいなもんだよ。大抵、非は相手方にある内容が多くて、理帆みたいな客の場合は連絡が来る事はないだろうって思っていてさ。  自分の中で一つ、大きなイベントが終わった後の喪失感っていうか、虚しさが暫く続いたんだ。まるで映画を観終わった後の虚脱感みたいで、ずっと頭の中でエンドロールが流れている感覚。今まで何組もお世話にさせてもらったけれど、あんな感覚を仕事で味わったのは初めてだった。  だからといって、特別何か行動を起こす気力や度量を当時の俺は持ち合わせていなくてさ。吹っ切れていなかったし、もやもやしながら暫く過ごしていたらある日突然、理帆が店にやってきたんだ。
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