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 引っ越しが終わって数日が経った頃、健人の店に挨拶に行ったの。お世話になった訳だし、一応挨拶に行かなくちゃいけないでしょ? 部屋の両隣と上下階には奈菜と一緒にお引越しの挨拶が終わっていたわ。  まだ荷解きが完全に終わった訳じゃなかったんだけど、早いうちに行った方がいいかなって。奈菜はまだ自室で段ボール箱と格闘していた。私は洗面化粧台の前でいつもより念入りに化粧をしていたの。そうしたら仕度途中に奈菜が「化粧濃くない?」って茶々を入れてきたのよ。 「ちょっと冒険しようかなって」 「理帆には合わないって。理帆は童顔なんだから薄いくらいがちょうどいいわよ?」って洗面化粧台の前でアイラインを描いている時に言うもんだから、一旦手を止めたの。奈菜の方が化粧は上手だし、一応意見を聞いとこうと思ってね。 「……もっとこうした方が明るくて艶っぽくなるし。そうそう……こんな感じにした方が男がウケが良いわ」  そこからは奈菜にされるがままの状態だった。最後にリップを塗り終わると「ほら、こっちの方が大人の感じで色気があるでしょ?」って奈菜は満足気な様子。 「あとは……そうそう、アイロンで巻き髪を作って。うん、いいじゃない」  三面鏡に写った自分が新鮮だったわ。私が思い描いていた大人っぽさを、奈菜は見事に演出してくれたの。新しい自分の一面と出会えたって言ったら大げさかな。  もしかしたら奈菜はこの時から私の心情を察してくれていたのかも知れないわね。長い付き合いだし、言葉にしなくても解り合えている気がした。部屋を出る前に健人にもらった時計を見ると正午を過ぎていた。奈菜に「ちょっと出かけてくる」って言って部屋を出て行ったの。  自分の魂がその土地に浸透するまでには六十日かかるって聞いた事があってね、その期間に新しい事や挑戦すると失敗しやすいんだって。だけど、その時の私はその言葉が頭の中から抜けていたわ。だからって後悔した訳じゃないけどね。  並木通りを歩いて駅前の商店街通りから漂う食欲をそそる匂いを無視して百貨店に向かったの。健人にプレゼントのお返しを買う為にね。その時が初めて男性にプレゼントを買ったの。女性の店員さんに包み隠さず相談したわ。ネットに掲載している健人の写真を見せて、似合いそうなネクタイを店員さんと吟味するくらい必死だったんだから。候補を二つに絞ると、あとは直感で選んだわ。
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