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 自分の人生に息苦しさや不満を覚えた事はあるかい?  物事が思い描いた通りに上手くいかず、足踏みしていて、こんなはずじゃなかったとか他人のせいにして悪態をつき、酒やギャンブル、色恋に逃げて現実逃避をした事はないか?  別に批判するつもりは毛頭ないよ。その時々で、或いは立場や価値観で意見や考え方が変わる事は当然だし、ストレスを溜め過ぎ無い為にも息抜きは必要な事だと思う。そんな事をしたくらいで、揚げ足をとって大将の首を獲ったぞかの如く、言っている奴らの方が俺はどうかしているって思うんだ。  よくテレビで観るだろう? お偉いさんの方々が本音と建前を武器にして、こそこそと隠れていかがわしい事をやって報道されているよな? 一本筋が通った考えを持たず、尊重する価値の無い自分翻意な言動をする人間の意見に耳を傾けて考えを改めようだなんて思えないよな。どうして敬意を表する価値もないと判断した年寄りの傲慢で卑しい凝り固まった意見を尊重しなげればいけないのかってさ。  全国民が自国を良い国にしよう、或いは社会がみんな幸せになれるような世の中にしようって建前上は口にするけれど、逼迫した状況に立たされた時の本音が綺麗事で終わらない人間がどれだけいるのだろう。そんな人間は、決して矢面に立たされる事はないし、金と権力の前に淘汰される世の中なんだよな。その思想を持った人間が淘汰されずに他人を巻き込んで大きな運動を行い、社会が変わるきっかけを作った人間が歴史上にどれだけいたのだろう。  それじゃあ、何が正しくて何が間違っているのかって話になる。数学のように正解、不正解が世の中にあるのか? 明確な答えが定められている人生を人生って呼べるのか? 仮に正解があるのならば、それは誰かが過去に作った正解であって、その正解を作った誰かの価値観に基づいて、定められた正解になる。それじゃあ、その正解にそぐわない価値観を持った人間は、また正解と定められる世の中のルールを作る必要がある訳で、そのルールが定められるまで不正解と断定されてしまうのかって話になる訳だ。
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