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痛みと雪に足を取られて転んだ僕に手を差し伸べたのは、穢れなき高潔な存在のようなその人だった。
差し出された手の先、見上げた先には神々しい白亜の教会。
そして彼女が纏う衣装も相まって、陳腐な物言いをすればまるで“女神”。
輝く銀の髪はゆるいウェーブがかかっていて、柔らかそうだ。
ふわふわと長いその髪は太陽の光を吸い込み、髪そのものが発光しているかのよう。
穢してはならない存在。
手を触れればそれだけで自分に染み付いている黎く澱んだ物を移してしまいそうで、思わず眩しすぎて目を反らした。
差し出されたその手を取らずに、僕は思わず自分の髪を握りしめる。
堕ちていく。
許されざる想いに、囚われて。
黎い、想いに、堕ちていく。
暗闇に射す一筋の光のような気高さは、僕を照らすのに、他の誰にもその光で照らして欲しくない。
いっそのこと。
この足で新雪を汚すような破壊衝動が生まれる。
誰の目にも映らぬよう、閉じ込めて、その身に流れる鮮血の赤に染めたい。
僕の黎さで飲み込んでしまいたい。
まさか自分にこんな感情があるなんて。
などと思う事はない。
人なんて、そんなもんだ。
叶わぬ願いがあるのなら、ひとつ。
清廉な輝きは失われる事なく聖域となる。
叶わぬ願いの先に、ひとつ。
何もかもを嘆きに変えて全てはこの手で終わらせる。
どちらの感情も併せ持つ、酷く脆い生き物だ。
「いつまでも“そんな所”にいたら、体が凍ってしまうわよ」
ちらりと目線を上げると、引かれることのない差し出された手。
目が合いそうで反射的に逸した先には、物理的に僕を傷つけた石礫が目に入る。
少しばかり血が滲むそれは、自身が傷を負っていることを示していた。
「貴方はおバカさんね。いつだって私の手を取ろうとしない。穢れないもののように私を扱うけれど、私にも醜い欲望があるわ」
この身を駆逐するほどに、と、悲しそうに笑うのは諦めだろうか。
彼女の気持ちなど、本当のところ知っていたのだ。
それでも彼女は僕にとっての穢れなき光だった。
ずっと見てみぬふりをして、僕自身の気持ちさえ見てみぬふりをして。
彼女の傍に控えるということは、決して己を出してはならぬ事。
人の形を崩さぬこと。
彼女と、彼女を取り巻くものと、僕との、誓約。
綻びは一瞬だった。
野獣の咆哮に神経を尖らせ、彼女を救った刹那。
「化け物」
と、誹りの言葉を浴びて我に返ると、先程までともに笑っていた人達は、それが当然とばかりに僕に石礫を投げていた。
それは僕の足に見事命中し、それが元で雪に足を取られて僕は地面へ身を投げることになった。
僕が蹴り倒した野獣は、遠くで動く気配がない。
僕を起こそうと彼女が手を差し出した今、石礫を投げてくる人は居ないけれど、ひと時前と同じ気持ちで僕を見ている人はいないだろう。
ずっと護ってきた。
護られたその日から。
大切にするのなら、大切にしたいから。
澱む気持ちを更に閉じ込め、黎く澱んだ物が決して彼女に移らぬように。
何に変えても護っていこうと、思っていた。
しかしどうだろうか、今、自分の身に巡るのは喜びだ。
もう誓約に囚われず、この手に彼女を抱きしめられる。
この征く道が茨に閉ざされていようが、獣道であろうが、共に歩んでいける至極の喜び。
平坦な道ではないことだけは確かだ。
今まで感じた葛藤、困惑、妬み、嫉み、渇望。
それらの一切を振り切って僕はその手を取る。
躊躇いなく握り返されたその手に、同じ気持ちがあると信じて。
この世で最も清廉で、気高き御位の人が全てを投げ歩き出したその姿を人々は呆気にとられて見つめていた。
まるで幻術にでもかかったかのように、何も言わず、その姿が見えなくなるまで。
空には日暈が、雪の残る大地には人と異形の足跡が、ふたつ並んで続いていた。
完
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